私のチュン 連載6
私のチュン
前回、チュンの様子が例年と違うといったが、他にもある。 私の手にも噛み付くようになったことだ。
スズメが人を見分ける方法であるが、単純ではない。 全体像としての個人を見分けることも、もちろん出来る。 また、個人の手も見分けることが出来るし、顔の区別も出来る。 ところが、手や足や顔がそれぞれ独立した、意志を持った個別の生き物であり、それらが寄り集まって、集団として形成された、その全体象を、人間の一個人とみなしているようである。
私のチュンも虫の居所が悪いと八つ当たりする。 それも、以前は、家内の手であり、唇であったりして、私には無関係のことであった。 八つ当たりし出すと、私の手が仲裁に入っても、絶対に聞かない。 あくまで家内の手を目の敵にする。
前に、ぎゃー、という声が聞こえたから、見たら、チュンが家内の唇にぶら下っていた。 無理に引き離そうとすると、チュンが怪我をするかも知れないし、家内は両手を広げて、どうすることも出来ないでいた。 小さいといっても、ぶら下るほどの握力というか、顎の力であるから、唇であれば、相当痛いであろうと思う。
(今、思いついたが、チュンの体重測定をしてみたい。 結果は別途、ここで、報告するとして、色々算段しなければならないことがある。)
チュンが何に対して、八つ当たりをするかは、色々だ。 先ほどの唇の場合もあるし、手のこともあるし、足のこともあったが、幸い目玉はなかった。 スズメは賢いから何処が急所かよく知っている。 目玉が対象外であるはずがない。 それが、当人の最も恐れるところであったから、老眼鏡を掛けたりして、あらかじめ用心していたから、本当のところは分からない。
私は、チュンが家内の手を、突き回しているのを見ていて、いつも羨ましく思っていた。 私の手も噛んで欲しい、突いて欲しいと思っていた。 何も、私が、サドだ、マゾだ、というのではない。 手なら痛くないだろうし、怒りも愛情の裏返しというし、無視されているよりはいいだろうし、だいいち、じゃれあっているようで、楽しそうだ。 家内も私の気持ちを察してか、余計に、楽しそうに振舞うものだから、悔しく思ったものだった。
ところが、この冬から、私の手にも噛み付くようになった。 ボケてきたのか、目の老化が一層進んで、誰の手か区別できなくなったのだろうか、今のところ、それは、分からない。 しかし、何故、怒っているのかは、大体分かる。
チュンを放ったらかしにして、外出したりした後に、よく怒るからだ。 チュンの気持ちを想像するに、「お前 (私の手のこと) がいつも、ワシが飛べないのをいいことに、皆にまとわりついて、たぶらかし、あちこち連れ回しているからだ。 お前が悪い」 と言って怒っているに違いない。 私の手を、同類のスズメとみなしている様である。
このような時に、私が怒って、「チュン!」 と大きな声を出して、たしなめると、一瞬、攻撃を止め、「ジュン」 と律儀に返事を返へし、私の方に顔を向ける。 「ジュン」 と濁った発音をするのは、私の発音に合わせているからで、彼にしてみれば、外国語をしゃべっていることになる。 私がスズメ語をしゃべっているのではなく、私のチュンが、人間語を話していると解釈した方がよいだろう。
そして、お前には関係ないという風に、再び、私の手に攻撃を開始する。 私の手と顔は、別の アイデンティティ であると認識している証拠と言っていいだろう。
噛まれてみて分かったが、有りっ丈の力で噛んでいることが分かる。 手の平ならまだしも、手の甲の柔らかいところを噛まれると、思わず声が出るほどだ。 手の平でも、指の又のところとか、かなり無防備な、柔らかいところを見つけて噛み付くから偉いものだ。
そういう急所であると判断すると、力の入れようが違うし、噛み方も変えてくる。 はじめは、ぱくっ、と大きく噛み付くが、それでは圧力が小さいことを知っている。 ご存知のとおり、嘴は、先のほうへ行くに従って、細くなっている。 先の方の、細くなった部分で噛めば、圧力が増すという、物理の法則を知っているから、そこらの物理音痴の人とは違う。
謝りのサイン
ぱくっ、と噛み付いたあと、そこが急所だと分かると、徐々に、嘴をずらしていって、最後に、針のような嘴の先端部分で、うにゅうにゅと、渾身の力を込めるものだから、かなりこたえる。 それでも、平気な振りをしていると、諦めて、別の場所へと矛先を変える。 これの繰り返しである。 それも、こちらの手が逃げ出さない限り、一時間でも攻撃をやめない。 死んだ振りをしても止めない。 謝りのサインというのが、スズメの辞書にはない。
cf. 「スズメは何処から来た」
どうです? あなたも、チュンに噛み付かれたりして、遊んで見たくなったのでは?
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