« 私のチュン 連載9 | トップページ | 私のチュン 連載7 »

私のチュン 連載8

私のチュン


八幡自然塾日本の鳥旅先の鳥旅先の花木旅先の蝶鳥紀行好酉の世界

2005/03/23
 蘇った私のチュン! 戻る次へ


 チュンが我が家にやった来た日のことを、随分昔の話であるが、よく覚えている。 上の娘が就職して間もない頃だったと記憶している。

 当時、私は、新聞広告で、木曽の組み木細工の頒布、というのを見つけて早速、購入を申し込んだことがあった。 知恵の輪のように、組み木をばらして、また、組み立て直す、という遊び道具だ。 よくも複雑な構造が発想できたものと感心する。


 宮大工が、釘を一本も使わずに、法隆寺の五重の塔を建てたりするが、その伝統の技術が込められている気がする。 実際にそうであろう。 いわば、宮大工の知恵の結集といってもよい。 このような人知を尽くした創造物が、私の好みと一致していたからだ。

 常々、何事も、クリエイティヴでありたいと思っている。 美的センスも良く、五重の塔だとか、立方体のシンプルなものまで、一月に一組送られてくるものだ。


 最終的に、十二組揃っていた。 それを使うでも無しに、飾っているだけのものと思ってか、また、子供のおもちゃのようなものに見え、大事なものではないと思ってか、上の娘から 「会社で飾りたいから、貰って行っていいか」 と聞かれた。

 使わなかったのは、あまりに美しいものだから、手垢が付くのを恐れていたからだ。 それに、これまでの経験から、組み木細工の知識は習得済みで、実際に分解したり再組み立てをしたりしないでも、頭の中でそれが出来たからである。 いわば、私の宝物的存在であった。





宝物的存在
 いい大人が、子供のおもちゃみたいなものを、と思うかも知れないが、宝物とはそんなものだろう。 他の人が、その価値を評価出来るものではない筈だ。 もし、これを読まれている方がおられるとして、何人の方が、十二組揃った組み木細工を見たことがあるであろうか。

 それにまた、それをくれと娘に請われて、断れる父親が、この世にいるだろうか。 会社に飾るにしても、全部持っていくとは、これまた、想像できる人がいるだろうか。


 当然、一つぐらいならと、断るのも大人気ないから、「うん、いいよ」 と言ってしまった。 セットものは、一つでも欠けたら意味が無い。 それでも父親なら、片腕をくれといわれても、断らないだろう。 そんなものだ。 そうしたら、一つ消え、二つ消えして、気がついたら、全部消えていた。






赤い箱
 その組み木のおもちゃは、綺麗な、赤い紙の箱に、一つづつ収められていた。 それらが、全て無くなって間もないある日のこと、赤い箱が一つだけ里帰りした。 その中に、チュンがいた。 娘のハンカチか何かであろう、暖かそうな布に、包まれるようにいた。

 娘が、見かねて、連れて帰って来たという。 会社の階段の隅で動けないでいたという。 普通、巣立ち直後で、上手く飛べなくても、素手で捉まえられるものではない。 人を恐れて、逃げ惑って、精魂尽き果てていたのだろう。 見ると右の翼の様子もおかしい。 それでも、蓋を開けると、大きな声で、チュンと鳴いた。


 私は中学生の頃、同じように、スズメを拾ったことがある。 助けたのではない。 逃げ惑うのを追い掛け回して、無理やり拾ったという訳だ。 正確には、拾ったのではなく、無理やり捉まえたということだろう。 それでも、もちろん、大切に育てようと思っていたことだけは、嘘偽りの無い、確かなことだった。

 それが、私が差し出す餌を、頑として受け付けない。 今、思い返せば、チュンとも鳴かなかった。 囚われの身と知って、死を覚悟し、一切の、人間との関わりを絶って、野生の誇りを示していたのであろう。


 ときに、私の手から逃げ出すものだから、捉まえるのに、また、追い掛け回す。 そして、そのことが、スズメを、より一層、衰弱させていたことなど、そのとき、想像もしていなかった。 季節のことは良く覚えていないが、寒かったかも知れない。 翌朝、そのスズメは、冷たくなっていた。 たった、一日の出来事だった。

 一度、野生として育ったものの、野性の誇り、尊厳、それに加え、私の無知、無頓着、冷酷な仕打ち、罪の意識など、多くのことを、そのとき学んだ。


 だから、チュンを見たとき、助けられないと思った。 最初から元気が無いのである。 また、餌を食べてくれないのは百も承知している。 チュンも同じだった。 だから、記憶にあった小鳥の餌作りを家内に伝え、卵の黄身と青菜をすり鉢ですり、それに牛乳を混ぜたものを用意した。

 そして、無理やり、楊枝でチュンの口をこじ開けて、割り箸の先に、その練り餌をつけて、押し込んだ。 家族がみんな、心配そうに覗き込んでいた。 そして、何度か、それを繰り返し、その晩は、その赤い箱の中に入れて寝かせた。 かって、私の宝物が入っていた箱だ。


 朝を向かえ、箱を覗くのが怖かったが、チュンは生きていてくれた。 その上、嬉しいことに、割り箸の先に付けた練り餌を、自ら啄ばんだ。

 私の手のひらに乗っている。 私を怖がっていない。 不思議な感覚だ。 ずっと前に死なせたスズメが、死んだのではなく、今、目覚めたように振舞っている。


 私が、赤い箱とともに失くした宝物が、その赤い箱が、それ以上の宝物を詰めて、再び帰ってきてくれた。 チュンは蘇ったのだ。 ずっと前から、私のチュンだった。 そして、その赤い箱は、チュンのお気に入りでもあり、今も、私のチュンの傍にある。





戻る次へ











« 私のチュン 連載9 | トップページ | 私のチュン 連載7 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。