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私のチュン 連載16

私のチュン


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2005/10/22
 チュンの好きな食べもの (5) 戻る次へ


 チュンは、粉物も好きである。 いわゆる、せんべい、ケーキ、カステラ等のように粉を原料にした、おやつというか、現代風に言えば、コーヒーブレイクとでもいうのだろうか、に食べるものである。


 一般的には、たこ焼き、お好み焼き等のことらしいが、いづれにしても、粉物は、どちらかと言えば麦が原料であろう。 ということは、スズメは、麦も好きということであろう。

 スズメは米と共に日本へ、イエスズメが麦と共にヨーロッパへ向かった話は、前に紹介した。 要は、一番は米であるが、麦も好きは好きということか。


 cf. スズメは何処から来た
 cf. 五穀を食べることを許されたスズメ






パンが命
 チュンは、三度の食事の他に、おやつの時間というものがあることも覚えた。 何しろ 「パンが命」 であるから、食べることに関する執着というか能力というか、人間が太刀打ちできるものではない。 ところが、この私のチュンでも敵わない生き物がいた。 ハエの類がそうだ。








§§§ 鮎の干物作りをしていたときのことだった
 私が、鮎つりをしていた頃、特に、良く釣れた場合には、ウルカを作ったことがある。 鮎の内臓の塩漬けだ。 一合瓶ほど作るのに、大体、数十匹の鮎が必要である。 そのころ、元釣り師の私の腕前は、一日に十匹ほどであったから、ウルカ作りが、どれほど貴重なものであったか、お分かりいただけると思う。 本当の釣り師でも、四十匹ほどであったろうか。


釣り師のプライド
 鮎つりのシーズンが終わった、あるとき、9月初旬の頃だったと思うが、アマゴ、イワナ狙いの渓流釣りに行った。 といっても、放流ものである。 酒天童子で有名な大江山にある渓流だ。

 釣り場は広く、その深山渓谷の中のある適当な場所を見つけて、ここに放流してくれと頼むと、バケツ一ニ杯分、30匹ほど放流してくれる。 もちろん、釣り易い場所を選べばよいのだが、そこは釣り師のプライドというものがある。 子供の遊びじゃない。



 釣り易い場所は、深みのない、魚の隠れる場所もないところが良い。 ところが、釣り師ともなれば、そんな金魚すくいのような真似はしたくないだろう。 大きな岩あり、深みあり、自然の渓流に近い場所を選ぶものだ。


 特に、こういう場合、そのプライドを傷つけられることが多い。 この日も坊主で帰ろうとしていたら、可哀そうに思ってか、養殖場の主人が、養殖の鮎ではあったが、100匹ほどくれたことがあった。

 養殖鮎を甘露煮用に加工をしていたらしい。 それが、日が暮れかかり、作業員の人たちが帰る時間が来たが、未処理の鮎が沢山残っていた。



 渓流魚は自己消化といって、内臓にある消化酵素が強く働いて、放っておくと身体が溶けて行く。 鮎は、特にそうである。 だから、このまま、おいて置くことも出来ないし、かといって、氷詰めにする氷もなかったのであろう。 まあ、経営者の判断ミスのお陰で、鮎が手に入ったということになる。


 普通、放流釣り場の経営者は、アマゴやイワナや鮎を養殖していて、加工して出荷したり、料亭に卸したりしている。 どちらかと言えば、これがメインかも知れない。


 上等の甘露煮を作る場合、子持ちの雌の鮎を使う。 だから雌と雄をより分けたり、卵以外の内臓を取り出したりしなければならないが、それが時間切れで出来なくなったという訳である。

 私も釣り師の端くれ、天然鮎でなければ鮎ではない。 養殖鮎など食いたくもないと言って見たいところであるが、くれるというから貰って帰った。 殆どが雄ばかりであったが、もちろん雌も沢山残っていた。 8月も後半になると、鮎も子持ちになる。


 養殖鮎は、ペリット という人口飼料で育てられるから、内臓は食べたくない。 もちろん、食べても悪くはないが、いわゆるコケの味がしない。 苦味も少ない。 だから知らない人は、この鮎は油が乗っていて美味い、ということも多い。 実際、内臓は半分以上が油の塊であった。 天然ものにはこれがない。



 いづれにしても、内臓を取り出すことにしたが、卵だけは捨てずに、子持ウルカを作ることにした。 前に作り置いていたウルカに、この卵を加えた。 小さいインスタントコーヒーの瓶にいっぱいになった。 そして、これに塩を追加して、一日一回ほど、掻き混ぜるのが楽しみであった。 だんだん発酵してくる様子が分かる。 卵が大半であるので、色も茶色っぽく、いかにも、子持ちウルカである。


 内臓を取り出した鮎は、最早、鮎ではない。 塩焼きにもならない。 しかし、開きにして、干物にすると、これがまた、美味いことを私は知っている。 もちろん、正月の雑煮のダシにもよい。 昔、中国物産展で買ってきていた、直径一メートル程の竹網のざるを二枚に並べて、ベランダに干した。
 








§§§ 大した、ハエの根生
 鮎の干し具合を確かめに行ったら吃驚した。 大きなハエが数匹、たかっていた。 新聞のユーモア欄の投書で見たが、同好の士もいるもので、こういう状況下で、仲間が 「ハエがたかっているよ」 と知らせてあげたらしい。 すると、「大丈夫、ハエは、皆まで食わん」 という答えが返って来た、ということだ。 確かに、その通りなんですがね。


 私は、ハエに、少しでも食われるのが嫌な、ケチな部類に属する人間である。 早速、扇風機を持ち出し、それに、長いリボンを付け、スイッチを入れた。 むかし、魚屋さんで見たことがある人もいるかと思うが、リボンが風に吹かれて、パタパタと、そして、首振り運動もするものだから、まるで 自動的に はたき を振り回すようなものである。 さすがのハエもたまらず逃げ出した、と思っていた。



 確かに、追い払ったことは追い払ったんだが、二三十センチほど離れたところにとまって、何やら思案をしている様子であった。 すると、機が満ちたのであろうか、やおら、飛び出して、その風に舞うリボンの届かぬ所にある鮎の開きに張り付いた。 出し抜かれた私は、扇風機の位置を変えて、ハエを、はたき返すが、また、引き下がって、すきを伺う様子である。


 リボンの先端で、ハエをはたくようにすれば、ハエもたまらず逃げ出す。 ところが、扇風機に近い側のリボンは、一番、位置を下げても、ざるの縁より下には下げられない。 ざるの縁が防御壁のようになって、リボンが中に届かない。

 そのことを見切ったハエが出てきたから吃驚した。 リボンがパタパタとハエの頭上ではためき、ごうごうと吹き荒れる強い風をまともに受けて、時折り、身体が風で斜めに倒されたりしながらも、鮎の開きに張り付いている奴がいた。



 扇風機が首振り運動する、そのタイミングを見計らって、飛び込むから、ハエの知能も馬鹿に出来ない。 大縄跳びに飛び込む技術どころではないだろう。 例えれば、太い鉄製の鎖を、大縄跳びのように、機械でぶんぶん回す、その中に飛び込むようなものであろう。 もし、鎖に当たれば、相当ダメージを受けるに違いない。


 ざるの縁の高さは数センチほどしかない。 鮎の開きの厚さと、ハエの体高を考慮すると、その隙間は、わずかに、2センチあるかどうかといったところだ。 その上にはリボンが激しく舞っている。

 風も扇風機に近いから強いはずである。 風の強さを、《強》 にしても、なお頑張って、逃げ出す気配はない。 何という豪胆さだろう。 そこまでやる気なら、付きっ切りでハエを追わなければならなくなる。 といって、そんな暇はない。 自動ハエ追い払い機は失敗した。



 それでも、私には奥の手があった。 釣り道具屋に売っている、干物作り専用の網を持っていた。 チュンの鳥篭ほどの、形も似た、長方形の網で、中に数段の棚がある。 その棚に、干物にしたいものを並べて、軒下などに吊るして置けばよい。

 私は、こんな奥の手を出すことなど考えてもいなかった。 最近では、ハエなど見たことがなかったからである。 それが、あくる朝、様子を見に行ったら、それこそ見たこともない、大きなキンバエが、網に張り付いていた。 もちろん、鮎の開きには手が届かない。 羨ましそうであった。 それにしても、ハエの餌を探知する能力はすごい。








§§§ ウルカ作りの後日談
 その年の正月のこと、我が家に親戚一同が集まった。 正月は、キャラバン隊の様に皆んなして、各家を回ったものだった。 宴もたけなわの頃、私は、子持ちウルカのことを思い出した。 酒の肴に、丁度良い。

 そういえば、ここ数ヶ月は、その存在を忘れていた。 作り始めた当初は、毎日のように、掻き混ぜたりしていたが、安定してきたので、そのまま放置していたようである。


 家内に、持って来てくれるよう頼んだが、冷蔵庫を家捜ししている様子で、一向に出てこない。 しばらくして 「そういえば、熊本のおばあちゃんが、何やら腐ったものがあるから捨てたといっていた。 そのウルカだったかも知れない」 という。

 何ということだ。 言ってみれば、私の宝物であった。 そんなに簡単に作れるものではないことは、前述のとおりである。



 ウルカの貴重なことを知らない者にとっては、見た目も良くない、腐ったものに見えることだろう。 ガラクタに見えるものでも、集めて喜んでいる人も沢山いる。 宝物とはそんなものだ。

 だから、私の子持ちウルカが捨てられたことにも、殆ど誰も驚かないし、残念がることもない。 鮎の内臓の塩漬け、と聞いても、イカの塩辛ほどにも感心を示さない。 そのまま、話題は他に移って、再び戻ることはなかった。

 残念がる者がいるとしたら弟ぐらいかも知れない。 彼もウルカを作ったことがある。 また、今も、鮎つりを続けているからである。 それでも、子持ちウルカは作れないだろう。


 大体、子持ち鮎を釣る機会も非常に少ないからだ。 殆どの川では、8月も半ば過ぎると、友釣りのシーズンは終わる。 あとは、網が入り、全ての鮎は獲り尽くされる。

 鮎が天然遡上するような大きな河川では可能だが、この頃は、友釣りでは数が釣れない。 一日に数匹釣れればよい方だろう。 とても、ウルカにするほど余裕がない。



 もう、何十年も前のことなのに、いまだに忘れられない。 我が生涯、最初にして最後の子持ちウルカ作りであった。 それも、幻となってしまった。








§§§ チュンも負けてはいない
 ハエほどではないが、チュンも全身全霊を使って、食い物探しをしていることは間違いないだろう。 おやつの時間というものがある、ということを知っている。

 しかし、チュンの場合、それが、10時とか3時という、時間の概念を通して知っているのかというと、そうでも無さそうだ。 その時間が来るのを待っている様子ではない。 その時間になると、そわそわし出すという風には見えないからだ。

 どうやら、音で、その気配を察するようである。 パリパリとか、カチャカチャとかいう音に反応する。 せんべいの包みを開ける音やコーヒーカップの触れ合う音のことである。

 それが、間違いなく、言い当てるから、チュンもさすがである。 その音を聞きつけると、チュンチュンとわめいて、ワシの分も忘れたらあかんで、とその存在を示す。

 それが、おやつの時間だけなら良いのだが、娘が家に遊びに来て、スナック菓子の袋でも開けようものなら、ワシもワシもと、また、騒ぎ立てるものだから、チュンは口卑しいと馬鹿にされる。 チュンが騒ぐから、私まで、ワシもワシもと言っているように思われているのであろう、時々、お裾分けが来るから、ありがたい。








§§§ 粉物には目が無い
 カステラとか、ケーキのスポンジ部分には、目が無い。 大体、食べる速さが違う。 普段のチュンは、非常にお上品である。 見ていて腹が立つぐらいである。 大体、頭部全体の60%ほどは嘴であるのにもかかわらず、あたかも 《おちょぼ口》 のような食べ方をする。

 米粒なら二三粒は口に入る筈であるが、一粒しか口に入れない。 時には、半分ぐらいに喰いちぎる。 それでも、大きすぎて、直ぐには飲み込めない振りをする。 こんな大きなものは飲み込めない、とでもいうように、いつまでも、もぐもぐするから腹が立つ。

 というのは、チュンが食べ終わらないと、両手が塞がっていて、私が食べられないからである。 食べものを目の前にして、私は、お預け状態である。

 ところが、カステラともなると、直ぐに飲み込むことができるらしい。 美味いものは、そんなものかも知れないが、おちょぼ口でないことは、見れば直ぐ分かるのに、何故、小細工する必要があるのか分からない。

 その点、ニワトリは、なりふり構わず、口に押し込む。 果ては、喉に詰まって、ひーひーと声にならない声を出して、えづいたりするから、可愛いもんだ。

 そういえば、犬を飼っている人が、美味いもの与えると、ぱくっと、一飲みするから面白くない、もっと味わって食って欲しい、と言っていた。

 反対に、不味いものを与えると、口の中でいつまでも、うにゃうにゃと、こねくり回し、終いに、知らぬ振りして口元から、ぽろっと、こぼれ落ちたかのよう落とすという。



 私の場合は、不味いものは、薬と思って、飲み込むようにして先に食べてしまう。 その後に、美味いものをゆっくり食べるというものだ。 一番好きなもの残しておいて、一番最後に食べる。

 この食べ方が、誰でも同じと思っていた。 ところが、私の母の介護援助をしていただいているヘルパーさん達にアンケート調査をしたところ、全員、美味いものから食べるという結果が出た。 私には理解できない。





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