私のチュン 連載15
私のチュン
チュンは、果物も好きである。 私の三度の食事には必ず付き合うが、犬のように、「待て」 はできない。 だいたい、食事の気配がすると、『ワシも、ワシも、ワシも ここに居るからな』 とその存在をアピールする。 そして、食事が運ばれてくると、『早く食わせろ』 とわめきちらす。
餌としては、文鳥の配合飼料を彼の家に常設していて、腹が減れば、いつでも食べることができるようにしてある。 それに、それが嫌いかというと、そうでもない。 それはそれ、三度の飯とは、別ものという考えのようだ。
§ 特別待遇
五月蝿いし、仕方がないから、何時も、食事は一番先にとらせることにしている。 それに、チュン用に、お茶碗があるわけではない。 チュン用のお茶碗を出して食べてくれるのなら、楽であり、家族の一員として、一緒に食卓を囲むといった風情もある。
ところが、赤ちゃんに、スプーンで、一口、一口、食事させるように、チュンを手のひらに乗せ、ご飯粒を一粒、一粒、チュンの口もとに持っていかなければならない。 私が食事しようにも、両手がふさがっているということだ。 面倒であるし、世話が焼けること、この上ない。
§ お弁当はごめん
それに、ご飯粒がそのままでは、粘り気が強すぎて、嘴にくっつくから、舐めてから与えなければならない。 もちろん、そのままでも、チュンが拒否する、ということはない。 食べるのは食べるが、嘴の周りにご飯粒がつき易い。
いわゆる、お弁当をつけることになる。 一粒ほど付けるのなら、まだかわいい。 チュンも若かりし頃は、一粒でも、お弁当がつけば、嘴を手のひらにこすりつけたりして、取っていた。
ところがいつ頃からか記憶にないが、嘴の周りに山ほどつけても、平気になった。 感覚器官も衰えて来ているのかも知れない。 見苦しいし、それに、時々、ブルッブルッ と頭を振って、お弁当を振り落とすようなことをする。
昔のように、お上品に、嘴を拭うのではない。 だから、チュンのお弁当が、どこに飛んで行くか分からない。 私のお茶碗に入るかも知れないし、直接、口に入るやも知れない。 私は、チュンのお弁当は食べたくない。
§ もう食べられない?
それでも十粒ほど与えれば終わりだ。 ご飯粒を口元までもっていくが、横を向くようになる。 横を向いたところへ、またもっていく。 するとまた、眼に入りませんよと、反対側を向く。 これを無理に、二三回繰り返すと、嫌でも眼に入るから、しゃぁーないなぁーと、また一粒、口にするから面白い。
面白がって、繰り返すと、今まで頸を回して、見えない振りをしていたのが、身体を移動させて、見ないようになる。 終いには、手のひらから飛び降りて家に帰ってしまう。
もちろん、ご飯粒だけでなくて、色々なものを食べさせる。 レタスもキャベツも好物である。 魚も肉も食べる。 納豆のような粘りものは、苦手のようだ。 また、刺激物も駄目だ。
§ 果物は別腹?
このように、チュンが、もう食べられない、という素振りをし出した時に、果物を出す。 例えば、リンゴを差し出すと、聞こえないほど小さな声で、ピーピーピーと鳴いて、食べ出す。
この鳴き方は、期待していなかったのに、嬉しいことが起こったときの声であることを、私は知っている。 要するに、果物は、別腹であることが分かる。
喧嘩別れして、逃げ出した後、しばらくして、また、手を差し出したときとか、寒そうにしているときに、暖かいパジャマの裾に招き入れた時とか、眠たいが抱いてくれとも言えず、私の手の側で、どうしようかと躊躇しているときに抱き上げたときなども、同じ鳴き方をする。 実に、人間的な感情であることが分かる。
§ お父さんは口卑しい?
チュンは、食べることが生きていることの全てであるかの様に振舞って、恥ずかしがることもない。 私は、少なくとも、恥ずかしいという感情を持っているが ・・・ と思っているが、『また、口卑しいことをして』 と時々、娘からたしなめられる。
また、『お父さんは、ボケたら、きっと、飯はまだかぁーというタイプや、今、食べたとこやのに』 と決め付けられてもいる。 私は、自分では気がつかないが、相当に、口卑しいのであろうが、チュンには脱帽である。
§ 自己抑制がきく?
そんな口卑しいチュンではあるが、本当はそうではない、実に、偉いところがある。 これは自慢してもよいし、羨ましく思う人も多いだろう。 また、私が真似の出来ないところである。 食べものを前にして、自己抑制がきくことである。
絶対に、馬鹿食いはしないことだ。 食べないと決めたら、絶対に食べない。 だいたい、鳥類にデブはいないだろう。 デブでは空を飛べなくなり、命にかかわるから、本能的に抑制が利くようになっているのだろう。
猫も抑制がきく
猫は単独で行動する動物であるから、デブでは、狩もできないからであろう。 単独行動するものは、他人に頼ることはしないし、また、頼るものも身近にいない。 全て自分で判断しなければならない。
犬は抑制が聞かない
犬は群れで行動するタイプだからであろう。 また、強いもの順の序列社会に生きる動物である。 だから、主人が待てと言えば、従わざるを得ない。
しかし、犬は餌を目を目の前にして待てと言われても、その主人の目が行き届かないとすればどうか。 主人の目を盗んで、つい馬鹿食いしてしまうという。 これは、実に人間らしい行動とも言えるであろう。
肥満児の猫も、いるにはいるが、犬ほどでもない。 そして、何も私だけではない、人間は抑制が効かない動物であるということに気付いていただけることであろう。
魚類は満腹を知らない
ついでながら、魚類は満腹を知らないという。 要するに、満腹中枢が働かないようで、物理的に胃袋に入らなくなるまで食べ続けるという。
彼らの住む環境は厳しく、いつでも食糧が手に入るものではないからだ。 『食べれるときに食べておく』 という、私のように食糧難時代に育った者の考え方だ。
本当にそうなのか金魚 (ランチュウ) で実験したことがある。 全長 4-5cm の頃から飼い始め、もう、15cm ほどに生長していたときだった。
釣り針のように曲がっていては、また、釣り針に返しがあっては金魚を傷つけるので、普通の縫い針に釣り糸をつけたものを用意した。
それに 2-3mm大の球状の餌をさして、金魚の口に持っていくのである。 普段は、その餌を水槽にばら撒くのであるが、満腹したのか食べ残しが出ることがある。 わざわざ水底まで潜ってまでは食べないようだ。
そのような状態のときでも、餌を口元まで持っていくと食べるのである。 まぁ、水を吸い込むときに勝手に飲み込まれるようなものである。
でも、本当に食べたくないのなら、飲み込まなければよかろう。 それを飲み込むというのは、やはり満腹感がないのだろうと推測されても仕方がない。
もう、これ以上飲み込めないという状況になっても、吐き出すことはしなかった。 ただ、満腹感はないのだろうが、さすがに口元に餌を持っていっても飲み込むことはなかった。
§ 馬鹿食いはダメ
私は、出されたものは、全て平らげるし、馬鹿食いもする。 スナック菓子など、途中で止められないで、後で、もがき苦しむタイプである。
ところが、偉いことに、ここ何年も、馬鹿食いしたことがない。 血糖値がどうとか、医者が言うものだから、家内が、実に、誠実に、食事をコントロールしてくれるから、ありがたい?
だいたい、「馬鹿食い」 と言われると、心当たりのある人は、本当に馬鹿と言われているようで、面白くないという人もいるだろう。 私もそう思う。
しかし、これは、私が言い出した事ではない。 かかりつけの医者から初めて聞いた。 血液検査の結果を聞きに行ったときのことだ。 開口一番、『このままの調子で、いいですよ。 とくに、馬鹿食いはしないように』 と言われた。 とほほ。
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