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賢者のことば 連載18

賢者のことば


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2006/02/11
 フィリッピンからの賢者のことば (18) 戻る次へ




 ・・・ 独身の人へ ・・・

愛は まるで チョウのようである
   追えば追うほど 身をかわし すり抜けて行く

それが 追うのをやめ あるがままに 解き放てば
   あなたの手元に 飛んでくる 思いがけなくも





 チョウ (蝶) を追ったことがある人には、誠に良く分かる言葉であろう。 そして、この言葉の意味するところを例えようとすれば、チョウ以外の生き物では、考えられないことかも知れない。

 野鳥を追うのも、同じようなものではあるが、逃げ去り方が早すぎるし、また、あまりにもそっけない。 また、キツネやタヌキでも同じかも知れないが、これでは絵にもならない。 何しろテーマは愛であるから。


 私の好きな アオスジアゲハ で例えよう。 ご存知のピーターパンに登場する妖精チンカーベルを想像させる美しいチョウである。 そして、その仕草がたまらない。



トウで踊る
 バレエの 「白鳥の湖」 を思い出して欲しい。 プリマドンナが、両手を広げ、その手を、白鳥が翼を広げて舞うように、緩やかに、しなやかに、滑らかに上下させながら、それでいて、身体は頭から爪先まで、真っ直ぐ伸ばした姿勢で、即ち、トウで踊り続けるシーンのことである。

 トウ立ちのまま、一人で踊る場合、静止することは物理的に出来ないというか、難しいであろう。 常に、小刻みにステップを踏むことになるが、それがまた、何とも美しい幻想の世界へと、観るものを誘うであろう。 トウで踊るとはそういうものだ。


 アオスジアゲハは、プリマドンナがトウで踊るように、その妖精のような青い翅を、小刻みに震わせ、花の蜜を吸う時でさえ、片時も止めることはない。 私は、このように愛らしい仕草をするチョウを、他に見たことがない。

 そして、私の目の前で、それも、手を伸ばせば捉まえることができるであろうところで、舞い続けてくれたことがあった。 それでいて、深窓の令嬢という風ではなく、むしろ、明るいところが大好きという、気立ての良い、陽気な村娘に例えられようか。

 ところが、私の思い入れを知ってか知らずか、カメラを向けると、何気ない素振りで、隣の花へ移動する。 先ほどは、惜しげもなく目の前で踊って見せてくれたのに。 それでも、ほんの隣の花だから、一歩も前に進めば、追いつける。

 だから、逃げないで待っていてくれるのかと思って、さらに一歩近づくと、また、次の花に移動する。 それでも、今度は、二歩も前に進めば追いつける距離である。

 一歩追えば、二歩進む。 二歩追えば、今度は、少し上の花に、下の花にと、私の思惑を越えたところへ、すり抜けて行く。 それが、ランダムに移動するものだから、待ち伏せもできない。 不思議に、私には、彼女が嫌なものから逃げる風には、とても見えなかった。

 だから、気まぐれに蜜を求めては、花から花へと移動しているだけのものと、勝手に想像してしまって、私の心が見抜かれていることに気がつかないでいる。

 それとは知らず、執拗に追いかけていると、不意に空高く、または、垣根の外などへ、飛んでいってしまうものだから、否が応でも思い知らされることになる。 私の片思いであったことを。


 それが、忘れた頃に、再び出会うことになる。 真夏のかんかん照りの中、周りに人影もあろう筈がない。 ヤブガラシの花 と遊ぶようにして、妖精チンカーベルがいた。 あたかも、独り、トウで踊り続ける白鳥に変身しているかのようであった。

 物語の中では、悪戯好きの、やきもち焼きの、チンカーベルだが、このときは違う。 カメラも気にせず、独り、踊り続けて見せてくれた。





 思いを寄せる人への愛を求める願いは、国や宗教や人種を越えて、更には、人間に限らず、生きとし生けるものの、永遠のテーマであろう。

 そして、それは、決して、思い通りにはならないということも、また、真実と言わざるを得ない。 また、叶わぬ思いと知りつつも、人は、それを、心の中に抱いたまま、なかなか拭い去ることが出来ないものである。

 cf. 賢者のことば (15) ・・・ 思いどおりにはならないこと


 それでいいのかも知れない。 この境地こそ、この賢者の言うところの 「チョウを解き放つ」 ことではなかろうか。 思いを捨て去ったり、思いが消え去ったのではなく、それに囚われない境地というか、気持ちでいられることを指すのではなかろうか。

 そして、思いがけず、突然、願いが叶うことも、多々あるということは、それは偶然の成せる業 わざ ではないということだ。 そのことが、ともすれば気付かなかったであろう、自分自身の角張ったところを、いつの間にか、取り除いてくれていた。 そして、本来の輝きを放つようになったからに違いない。






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