« 私のチュン 連載1 | トップページ | 私のチュン 連載19 »

私のチュン 連載23

私のチュン


八幡自然塾日本の鳥旅先の鳥旅先の花木旅先の蝶鳥紀行好酉の世界

2008/09/25
 老化は仕方がない (1) 戻る次へ


 今日も、食卓の前に胡坐をかいて座っていると、それを嗅ぎつけたのか、部屋から出てきて私のひざ小僧をくちばしで、ちょんちょんとつついている。 『ワシにも食わせろ!』 という合図である。

 このように積極的な意思表示をする場合と、胡坐脚の中央付近に来て私の方を向き、ただ黙っておとなしくしていることもある。 ただ、早く気付いてくれないかなぁ、という雰囲気が伝わってくるから、要するにお上品なところを出しているようだ。

 その証拠に手を差し出すと、すぐに、ひょいと乗ってくるのである。 こういった二つの意思表示の方法は、何も食事時に限ったことではなく、抱かれて眠りたいときも同じである。






 いつも、『チュンは元気ですか?』 と聞かれると 『元気ですよ』 と応えるのであるが、そこには老化の程度のニュアンスまでは伝えられないのである。

 かといって、相手の方も、そのことに興味がある訳ではないはずだ。 挨拶とはそんなもんだらう。 また、"元気" という言葉は元来、気持ちの問題をいうもので、体力の衰えなどを伝えるものではないかも知れない。




老化は仕方がない ・・・ 病気と病体
 かって、将棋の升田 幸三 ますだ こうぞう (1918/03/21 - 1991/04/05) 名人が上手いことを言っていた。 「ご病気の方は、その後如何ですか?」 と聞かれて、『私は今も "病体" ではあるが、"病気" ではない。 すなわち、気は病んでいない』 と応えていたのである。

 お正月のテレビ番組で、加藤一二三との対戦を前にしてのインタビューの中の話である。 私も観ていた。 そして、それを証明するかのように見事な勝ちっぷりであった。

 その意味では、『私のチュンは、気は元のままではあるが、即ち、"元気" であるが、かなりの "老体" になってきた』 と応えるべきであろう。

 しかし、それでもまだ曖昧なので、もう少し詳しく近況をお伝えしたいし、それこそ "元気" な内にしておかなければ意味がない。







§ 止まり木では眠れない
 普通、小鳥は高いところで眠るのが好きである。 チュンもおなじである。 安全だからであろうが、私もなぜか彼らの気持ちがよく分かる。

 ところが、そのチュンが上段の止まり木に移るとき、ときどき失敗して落ちるようになったのである。 何しろ1メートル近いところから落ちるのであるから、見ていて痛々しいし、また、実際に痛かろう。




 こういった、体力の衰えに気が付いたのはずいぶん前のことである。 だから、その体力の衰えに合わせて、止まり木に工夫を重ねてきた。

 ただ、始めの内は最上段の止まり木の高さは変えたりしなかった。 というのは、そんな痛い目をしながらも、何が何でもそこで眠るのを常としていたからである。 持って生れた習慣とはそんなものであろう。 ちょっとやそっとでは変えたくない。

 その気持ちが分かるからこそ、とにかく上りやすいように、中間に止まり木を追加していく方法で対処したのである。 当初は、三段で最上階に上れたものを、それを6段に増やしたのである。




 それがいつしか、この6段でも失敗して落ちるようになった。 よく観察していると目が悪くなっているのであろうことに気が付いた。 見ると左目がもやがかかったように濁って見える。 白内障かもしれない。

 それでも最上段を目指す気力に衰えは無かった。 仕方なく、次の手段として、6段ある各止まり木を X状に交差させて配置し直した。 即ち、どの止まり木にいても、そこを左右に移動すれば、その上段の止まり木と交差するところがあるようにした。

 少々目が悪くても、ウロウロする内に上段の止まり木が否が応でも目に入るようにしたのである。 交差点では、すぐ頭上に見える筈である。 これが功を奏して、再び最上段に辿り着くことが出来るようになった。

 しかし、問題は降りていくときである。 この構成では上りに対して有効であるが、下段の止まり木はチュンには見え難いだろう。

 というのは、上り時の交差点ではチュンの背の高さ分が加味されるから、その分だけ見かけの距離が短くなるが、下り時では逆に、その分だけ遠くに見えることになるからだ。

 このことは、下から眺めた飛び込み台は、それこそ手が届く高さなのに、実際に、そこに立って見れば怖いほどの高さに見えるのと同じである。

 チュンを見ていると、下の止まり木が見えないものだから、最上段から盲滅法飛び降りていたのである。 それでも、 平衡感覚は立派なものだから、滅多なことはないが、途中の止まり木に当たって落ちることもあった。

 そんな怖い思いをしながらも、いつも最上段で眠っていたのである。 勇気と元気があった。





 それが、いつしか最下段で眠るようになったのである。 それより上段の止まり木は不要になった。 要は、2段目に上がれなくなったのであろう。 もし、そこに上がることが出来るのなら、同じことの繰り返しで、最上段まで上れる筈であるからだ。



 気力はあっても体力が追いつかなくなったようである。 それに、視力の衰えも原因しているだろう。 最初は、左目だけであった白内障も、両方の目に来ているようである。

 ただ、その最下段になっても、チュンも鳥のはしくれだろうか、意地があるのか、そこで眠るのが常であった。

 それが今は、その意地も捨てて、牛乳パックでこしらえた自室に潜り込んで眠るようになっている。 それも、もう 2年近くになろうか。




§ チュンの爪の形状
 チュンの爪も、最初はワシタカと同じような形であり、止まり木をしっかりと掴めるように湾曲していたのである。 それが、野生として育っていないので、また、飛べないから、地べたを歩く方がどうしても多くなる。

 普通の地べたならいいのだが畳や絨毯の上を歩くだけだから、爪が自然に磨り減るのに比べて、爪の成長の方が早いという状態が、ずっと続いてきたのである。

 気付けば爪をつんでやるのだが、そうすれば二三日恨まれることになる。 チュンは爪を切られるのをとても嫌がるからだ。 だから、私には到底出来ないことなので、家内に任せている。

 いくら爪切りをしても、地上を歩く方が多いのであるから、それに適した形状になって行くものだ。 前三本の足指は、湾曲はしているのであるが地上面に合わせて、平行に変形している。

 要はワシタカの爪を横向けにした格好である。 それでも、後ろの足指だけは、かろうじてワシタカの様であったのである。



 今は、止まり木で眠ることがなくなったので、完全に地上生活者になったといえる。 だから、その後ろの足指までそれに適応した形になった。 最早、足指でしっかりと止まり木などをつかむ形状ではない。

 眠りはしないが、それでも時折り、止まり木にいることがあるのは、仲間 (私たちのこと) とのコミュニケーションをとるタイミングを図るためである。

 そこは玄関口であり、そこに立たなければ、底のケースが邪魔をして、外の様子が見え難いのである。





戻る次へ












« 私のチュン 連載1 | トップページ | 私のチュン 連載19 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。