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私のチュン 連載1

私のチュン


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2004/11/13
 寿命について 戻る次へ


 はじめに
 私はスズメを飼っている。 本来、野鳥を飼うことは法律で禁止されているらしいが、傷ついて飛べなくなっているのを見かねて、娘が家に連れて帰ってきた。 96年5月のことだ。 だから現在、満10歳になる。 (2006/06/12現在)

 名前はチュンだ。 きっと同姓同名の仲間も多いと思う。 チュンチュンと鳴くからと思われるかもしれないが、そうではない。 雀語というものがあって、それに基づいてつけたものだ。 言葉でチュンと書いても、感情表現等で、発音が微妙にことなる。





Photo1
Chun
私のチュン 満5歳のとき
2001年11月3日 自宅にて Photo by Kohyuh

夏には、頭が禿げていたのに、寒くなって、また再生してきた。
cf. 12歳のときの チュン でーす!

呼び名のこと
 犬や猫に幸太郎とか、色々名前をつけている人もいるが、日本のことをジャパンと言ったり、ベネチアのことをベニスと言ったりするのと同じである。

 当地の言葉を無視して、自分らの都合の良い表現をしているだけで、本来、馬鹿にしたものだろう。






 私のチュンは、介護の甲斐あって、一命は取り留めたが飛べない。 野に放す分けにはいかないのである。 これを罰するとでもいうのなら、法律の方がおかしいだろう。







 寿命について
動物園の人にスズメの寿命について聞いたことがある。 野生では、寿命は一年ほどださうだ。 猫に獲られたり、事故や何やからで、野生として暮らしていくとなると、危険がいっぱいという。 一方、飼育環境下では、五年程度かな、と言われた。



 寿命について
金田氏(日本鳥類保護連盟)は、これを
 生態的寿命 : 自然環境下での寿命
 生理的寿命 : 環境が良い場合の寿命

といって、区別しているとのこと。



 動物園で聞いたとき、私のチュンは五歳だったから、そろそろかなと心配していた。 それからもう五年たった。 右翼が機能せず飛べないが、高さ一メートル程の籠の三段ある止まり木の一番上がお気に入りの場所で、そこから一気に一番したの止まり木まで、飛び降りることも出来た。 出入り口はいつも開けているし、手乗りではあるのに、少し柄が違う服を着ると怖がって逃げたりする。

センスは抜群
 どのような絵柄が気に入らないのか確かめようと、いろいろ試してみたが、茶色系統は問題が少ないようだ。 仲間の色に似ているからだろう。 嫌いな方は、特定が出来なかったが、縞模様は苦手なようだ。 とにかく、私の着る服については、チュンに見立ててもらうのが一番だ。 抜群のセンスと言っていいだろう。


 非常に目がよくて、何か怖がっているなと思うと、部屋の片隅に、普段は、そこには置いていないもの、例えば、花瓶などを見つけたりする。 また、床のフローリングも苦手で、そこは歩けない。 しかし、新聞紙を広げている上は歩ける、というから不思議だ。 きっと怪我をしたときの、何か トラウマ が残っているからだろう。






 介護レベルは、要支援?
 スズメは集団生活を営む動物だから、独りで居ることに耐えられないらしく、いつまでたっても赤ん坊のように、人の姿が見えなくなると泣き叫ぶ。 翼をブンブン回して、付いて行きたいと、ボディーランゲージ body language で訴える。

 例え、外国人でも誰でも、見れば、チュンの言っていることが理解できるだろう。 通訳はいらない。 およそ、喜怒哀楽は、人間と変わらない。

 チュンがついて来るのなら、どこにでも連れて行くし、また、行きたい。 しかし、一方で非常に怖がりで、隣の部屋にさえ行けないでいるから、扱いが大変だ。





白内障?
 ところが今では、頭は禿げ、片目が白内障で視力がなくなり、肌着に相当する羽毛も無残に抜け落ちて、翼を広げると素肌が見えるようになって痛々しい。 三段の止まり木では間隔が広すぎて危なかろうと、中間にも設けて、六段にしたが、さすがに最上段は使わなくなったので、取り外した。 それを、止まり木としてではなく、階段として使えるように配置した。 それでも人間ほどの介護は不要だから、エライものだ。

 片目で見るから遠近感がつかめないのか、止まり木から降りるときは、地べたに、まさに落ちているから、危なっかしくて見ていられない。 朝は手を差し入れると自分から乗ってくる。 痛い目は、やはりしたくないのだろう。




白内障 はくないしょう
 目の水晶体が濁って、視力が減退する病気。 白そこひ。
 by Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997




 視力が衰えたことが、逆に、恐怖心を少なくしていることもある。 今までと違って、腕時計をしていようが、嫌いな色の服を着ようが、隣の部屋に連れて行こうが、銀のスプーン(銀色のスプーン?)でヨーグルトを与えようが、一向に構わない。

 ところが困ったこともある。 どこに行くにも追いすがって、台所でもどこでも歩いてついて来くるようになったことだ。 昔は、鳥篭のある部屋から、怖くてか、出ようとしなかった。 足元にまとわりつくし、危なくてしようがない。 踏み潰しでもしたらと考えることすら恐ろしい。






 水浴び
 人間の年齢に換算したら、かなりのものと思うが、定期的に水浴びする。 真冬でもだ。 水浴びの前には、羽根の手入れをする。 右の翼、左の翼、右腹、左腹、右背中、左背中、お尻、最後が尾羽だ。 嘴で順番に、すごい速さで、しごいていく。 そして仕上げに尾羽をバサバサと音を立てて、振り払う。

 これを数回繰り返えしてから、水浴びの行動へと移る。 人間のように、いきなり浴槽に飛び込むような無作法は、決してしない。 また、水浴びの水が少しでも汚れていると中止する。 水を入れ替えてやると、すぐ気がついて再び開始する。 偉いものだ。


 冬の水浴びがどれほど勇気がいるものか、一度、試してみたらよい。 また、一般に鳥類は人間より体温が高い。 心肺能力・筋力を高めるために、『たんぱく質が破壊される限界近くまで体温を上げている』 と前述の金田氏から聞いたことがある。 それ以上体温を上げると、一番弱い脳の蛋白質が破壊され死んでしまう。


 車のエンジンも冷たくては馬力がでない。 朝一、よくアイドリングしたのも、このエンジンを温めるためだ。 鳥類は、いつ何時でも飛び立てるように、体温を上げて、常にエンジンを温めているようなものだという。


 また、病気のときに熱が出るのにも訳がある。 ウイルス自体も蛋白質で出来ているから熱には弱い。 そのことを知っている脳は、自らの体温を上げるよう身体に指令を出して、ウイルスなどの病原菌の壊滅作戦に打ってでたのだ。 しかし、これはまさに命をかけた大勝負であろう。 負ければ自分の命がない。




 実際にチュンを抱いていると手が熱くなるほどで、40度は超えているだろう。 だから水の体感温度は、人間以上に冷たく感じることだろう。 いつか、スズメの体温を実際に測定してみようと考えている。

 cf. チュンの体温測定


 スズメとて水浴びはとても勇気のいることだ。 それは、行動から窺い知れる。 水に飛び込むまでに、ぐるぐると十回以上は風呂の周りを回る。 どうしようか躊躇しているのだろう。 途中でやめることもある。 それでもまた、勇気を出して再び動き出す。

 野生の本能がそうさせるのだと思う。 いよいよ決心がつくと、風呂の縁に飛び乗り、嘴で水の温度を確かめる。 これも一度で済むというものではない。

 あくまで慎重だ。 それはそうだろう。 失敗は命取りになるからだ。 しかし、一度決心しすると、もう躊躇しない。 ここのところも、普通の人間とは違う。 一度決心したことなのに、ぐだぐだしたこと、身に覚えのある方も多いだろう。


 水に飛び込むと、ばしゃばしゃと両翼で水をかき回して、全身ずぶぬれになるまで水浴びをする。 あまり寒くて、途中で飛び出すこともある。 それでも足りないと思ったら、また飛び込むこともある。

 水浴びは、それほど勇気がいることなのに、生涯欠かさないようだ。 それを毎日といっていいほどする。 数回入ることもある。 水浴びの後は、私の処に跳んでくる。 ティッシュでくるみ、懐や毛布で暖めてくれるのを知っているからだ。


 はじめは、ブルブル震えている。 しばらくすると、手の中で眠る時と同じように、カーッと身体が熱くなってくる。 普段は嫌がるが、嘴を触わられようが反抗はしない、とにかく全力を尽くした後の疲労感というか、安堵感というのか、その状態で体力の回復を待っている。 分かる気がする。

 身奇麗にするということは、野生として生きていく上で、それほどまでに大切なことなのだ。 犬でも猫でも、野生動物は美しい。 もし、小汚い格好のものがいたら、余命幾ばくもないものと考えてもいいだろう。

 ここで、小汚いといったが、イボイノシシのような、見かけの話ではない。 彼らは、泥まみれかも知れないが、それが彼らの清潔を保つための技術で、寄生虫などが集るのを防ぐための、理にかなったものだからだ。


 人間も見習わなければならない。 という私は、風呂に入れ入れと、三回は云われないと入らない。 スズメからみれば、生きている値打ちがないというものだろう。 水風呂なんてとんでもない。





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