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私のチュン 連載19

私のチュン


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2006/06/13
 チュンの感情表現 戻る次へ


 最近、チュンのことをあまりかまってやれなくて、独りで留守番をさせることも多くなった。 そのせいか、人間関係?がギクシャクすることもある。


§§§ 目覚めのとき (1)
 私が朝遅く起きるとともに、先ずは、チュンのところへ行くのが普段の習いである。 そして、「チュン!」 と声をかける。 すると必ず 「チュンチュン!」 と元気の良い応答があるから、その声を待って、やおら鳥篭の防寒用のダンボールの囲いを取り外し、更に、その内側の鳥篭を巻くようにして掛けてあるタオルケットを外す。


 最近チュンは、床上 5センチほどの最下段の止まり木にいることが多い。 体力の衰えと言うよりも、眼がよりいっそう悪くなったようである。 そのチュンの元気な姿を確認すると、扉を開けて玄関に、用意した蒲鉾板2枚をスロープようにして、アプローチをしつらえる。


 また、声をかけても応答がないときもあるが、その様な場合は寝ぼけているのであろうから、応答があるまで呼びかけるようにしている。 それでも起きない場合、聞こえない筈がない、狸寝入りであるから、いつまでも開けてやらない。 返事をしないのは、我々人間でも同じであるが、よほど寝ぼけているか、何か知らんが、機嫌をそこねているのである。


 "こちらに落ち度はない筈" という気持ちがあるから、そのまま我慢比べのようにして放っておくと、たまりかねて、チュンチュン・・・と大声を出して、早く開けろと催促するようになるから可愛いもんである。


 いづれにしても、朝の起きがけは寒かったのであろうか、また、私の手の温もりが心地よいのであろう、再び眠ることが多い。 起き掛けは餌を差し出しても食べない。 私の食事が用意されるまで、このままうとうとしている。






§§§ 目覚めのとき (2)
 もちろん私の方が寝ぼけることも多い。 早く目覚めたチュンは、早く開けろと呼ぶのは当然であろう。 私は閉所恐怖症というのであろうか、閉じ込められるのが大嫌いであるから、気持ちが良く分かる。 宇宙飛行士にはなりたくない。


 それでも人間なら、ご主人様は未だ眠っていると気がつけば、静かにして待つところであろう。 ところがチュンは、元より私のことをご主人様とは思ってはいない。


 早く開けろと、いつまでもチュンチュン・・・と大声で叫び続けるものだから、五月蝿くて眠っていられないし、近所迷惑にもなろうし、しぶしぶながら、私か家内のどちらかが起き出さざるを得なくなる。 こういうことも、もちろん度々ある。






§§§ 目覚めのとき (3)
 最も気持ちのよい目覚めは、私が先に起きてチュンが居る部屋の戸を開けるとき、その物音を感じ取るや 『お早う!』 というように、『チュン・チュン』 と挨拶をしてくるときであろうか。


 チュンは既に目覚めていたのである。 しかし、私を呼び起こすほど、切羽詰ったものでもなく、気分は安定した状況であるに違いない。 その丁度よい頃合に私が起き出したということだ。


 ワシも起きているよ、早く開けてくれ、もう待てないよ、といかにも嬉しげな声を出す。 ところが、こういうときに限って、手に取るといきなり噛みついたり、突つき回してくるから訳が分からない。 まぁ、気力・体力とも充実しているという証拠であろう。






§§§ 目覚めのとき (4)
 このような、朝の目覚めのときで、ふと不安な気持ちがよぎるときがある。 いつものように、『チュン!』 と挨拶しても応答がないときである。 機嫌が悪いのであろう、未だ眠り足りないのであろう、と想像できるのなら、何も心配することはない。 意地悪ではあるが、泣き叫ぶまで放っておくことも出来る心のゆとりがある。


 ところが、昨晩は余りかまってやれずに泣き寝入りさせたような場合、少し寒かったかもしれないという思いと重なり、もしやという最悪の事態を想像してしまう。 私の身勝手な行動がチュンを悲しませたという思いが残っているからだ。

 このような別れ方はしたくない、何とか生きていて欲しい、これからは、もっと大事にするからと、祈るような思いで、囲いを外していったことも、度々あった。


 私の心配は幸いにも、これまでのところ、全て外れてくれた。 タオルケットを取り除くと、大あくびして、もう朝かという風に振舞うときが多い。 これを見て胸を撫で下ろすことになるが、また、心配して損をしたという気持ちにもなるから、私もいい加減なものである。


 また、目覚めてはいるのに、何かしら淋しそうに、思いに耽っているように、黙ったまま、じっとしていることもある。 チュンは、単に眠りこけていただけであったのか、昨晩の私の思いやりのない仕打ちに対する悲しみに独り耐えていたのか、それは分からない。

 ただ、信頼関係を失くす思いは、その悲しみが、怒りをも表現することが出来なくなるということを、私は知っている。 だからこそ、チュンの静かなる振る舞いが、かえって私の良心に響くのであろう、優しさモードのスイッチが入るのは仕方がない。


 残念ながら、私のこの優しさモードも、そう長くは続かない。 いつしか、いつもの私に戻り、身勝手なことをしては、チュンを悲しませることになる。 この繰り返しである。 だから、怒りをぶつけて、噛みついて、突つき回してくれる方が、よほど私は安心する。






 《余談: 情愛の機微
 私が高校生の頃であったろうか、新聞の投稿欄で見た記事ではあったが、情愛の機微の不思議さを知った、そして今も尚、記憶に残る話がある。 高校進学を間近に控えた娘を持つ母親の心境を綴っていた。

 ある朝のこと、朝食に出した食事を見て娘は、ぷいと、ほっぺたをふくらませて、何も手を付けずに学校へいった。 代わり映えのしない、嫌いなものであったからだ。 「私の嫌いなものを知っているのに ・・・ 」 という、母親への不満と抗議の意思表示である。


 私も良く分かるが、当時は食料事情も悪く、同じような献立が続いたり、それも好きなものなら未だ良いが、嫌いなものも多かった。

 今日もコロッケ、明日もコロッケという歌もあったように、それが普通の家庭の食事風景であった。 食べたいものが食べれないという時代であったが、それは、この話にとって重要なことではない。


 母親の悲しみは、娘のこの当てこすりの不満や怒りの表現に対してではなかった。 むしろ、それは嬉しい、幸せなこととして感じるようになっていた。

 というのは、この娘は実の子ではなく、いわゆる養女であった。 それが、話しそびれたままでいたのが、高校受験に際し、その事実をやがて娘が知ることになるという思いがあったのである。

 そして、この娘が、このように不満や怒りをぶつけてくれなくなる日が近いであろうと、その悲しみと慈しみが入り混じった思いで、娘のうしろ姿を見送ったという。

cf. 産みの親より育ての親
 








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