« 賢者のことば 連載14 | トップページ | 賢者のことば 連載16 »

賢者のことば 連載15

賢者のことば


八幡自然塾日本の鳥旅先の鳥旅先の花木旅先の蝶鳥紀行好酉の世界

2005/09/16
 フィリッピンからの賢者のことば (15) 戻る次へ




 ・・・ 思いどおりにはならないこと ・・・

一分もかからないでしょう
誰かを 傷つけてしまうのは

一時間もあれば 誰かを 好きになれる
一日もあれば 誰かを 愛するようになれる

しかし、一生かかるでしょう
誰かを 忘れる去ることは





 人を傷つける言葉は、それが例え、真意では無かったとしても、一旦、発せられると、後から、一分や二分で繕えるものではない。 信頼を回復するためには、長い時間が必要でしょうね。 それに、悪意として、受け取られていることすら、気付いていないかも知れないから、尚更のことである。

 一方、悪意をもって、言葉を発する場合、自分が思っているほどには、相手にダメージを与えはしないだろう。 心配することはない。 こういう状況が成り立つということは、裏切りとか、謀略といったことを除けば、初めから信頼関係が少ない場合が多い。 それだけに、相手の心のガードも、堅いはずである。

 空想ではなく、誰かを好きになるのには、多少、時間がかかる。 一目惚れというのは、まだ、空想段階のことであろう。 また、ヨン様が好きだ、というようなものでもない。

 勘違いをされては困る。 一方通行ではなく、お互いが、その気持でいなければならない。 もちろん、何も、好きだという言葉を交わす必要はない。 一言の言葉も、交わすまでもなく、一時間も傍にいれば、気心というものは、通じ合うときは、通じ合うものでしょう。
 

 誰かを愛するようになるのには、もう少し、時間が必要だ。 先ずは、誰かを好きにならなければならないからだ。 また、好きな人が沢山いても、これは、不思議ではないが、愛する人が沢山いると考えるのは、空想に、他ならない。

 それに気付くのに、時間が必要と、言い換えても良いだろう。 神様ではないから、有り余るほどの愛は、持ち合わせてはいない。

 どうなんでしょう、これらの言葉が、もし、実感として、理解できないところがあるとすれば、最後の行に、なるのではないでしょうか。 一生という時間的な感覚が、若ければ若いほど、掴み難いはずですからね。
 

 それでも、忘れたいのに、忘れられないことは、年齢に関係なく、誰しも、一つや二つ、経験してきていることと思うのです。 そして、もう少し、時を経れば、その内、忘れてしまうだろうと、思っている。 一生という時間感覚は、とても長い筈ですから。

 ところが、一生というのは、時間の物理的な長さで比較できるものではない、ということも、一方では、本当のことでしょう。 年齢の多少ではない、ということです。

 この世に生まれ落ちて来てから、今の、この瞬間までのことでしょう。 それより先の命のことは、知る由もないから。 ですから、今、忘れることができないものは、一生、忘れることができない、と言っているのかも知れません。
 

 ただ、齢を重ねるということは、それだけ、忘れたいと思うことも多くなる、というのは事実です。 私など、山ほど抱えている。 それに、忘れたいと、念じれば念じるほど、要らぬものまで蘇ってきてしまう。 昨日は、何を食べたか、ということすら、思い出せないのに、どういうことだろう。

 ここままで書いてきて、思い到ることは、忘れたいのに、忘れられないことが、人に関することだけでなく、どんどん蘇って来るばかり、ということである。

 私は、これ以上、思い出したくない。 この先は、皆さんに代わって貰って、思い出していただくことにしよう。






戻る次へ











« 賢者のことば 連載14 | トップページ | 賢者のことば 連載16 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。