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私のチュン 連載9

私のチュン


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2005/05/29
 チュンと再会 戻る次へ


§§§ 背中を押されて
 いつもは、寒くなれば再生していたチュンの禿げ頭が、今年は、春を迎えても、一向に変化が無かった。 また、寒がり屋で、目立って、毛布に閉じこもることも多くなっていた。 腹が減れば、餌場に飛び出すが、また、毛布に飛び込む始末だ。 体力も目に見えて衰えてきている。

 もし、海外旅行するなら、もう準備に入らなければいけない時期にきていたが、来年に延ばそうかなと思っていた。 安く、しかも季節のいい時期といえば、4月15日以前に出発するのがよいからだ。 格安航空券は、この日を境に、値上がりする。 また、準備するにも、少なくとも一ヶ月はかかる。


 それに、出かけるには、このような先行き不安なチュンを、娘に預かって貰わなければならない。 もしも、ということもあるかも知れない。 娘には、昨年も世話になった。 また、母の介護の当番のこともある。 姉や妹に負担をかけることになる。 姉や妹には、昨年も世話になった。

 家内の方も、チュンが気がかりか、行きたいとは言い出せないでいることがよく分かる。 スペインやポルトガルの旅行誌を、図書館から借りてきては、読み漁っているだけである。


 私たちの気持ちを察してか、娘の方から、チュンを預かるよ、といって、話を切り出せないまま、うじうじしていた私の背中を押してくれた。

 cf. 好酉 鳥紀行 スペイン編






  §§§ チュンの運動
 旅先で、チュンの訃報を聞くことだけは避けたかった。 チュンの体力の衰えについては、前に、ボケが始まったのか、私にまで、やたら噛み付くようになったことを紹介したが、それを利用して、チュンに運動をさせることを思いついた。

 ときたま、チュンのご機嫌が悪くなって、私の手を突き回すことがある。 もちろん、私は寒いから、毛布をかぶって、チュンを手で握るように抱いて寝ている。

 その手を振り払っての攻撃である。 きっかけとか、原因は、何となく分かるが、確かではない。 こうなると、そのひつこさは、人間とは桁外れである。 死んだ振りをしようが、何をしようが、止めることは無い。


 一度、どのくらい体力があるか試してみようと、されるがままに、放って置いた。 手のひらに、乗っては突き、降りては噛み付き、敏捷に動き回り、また、その痛さ加減から、思いっきり力を込めていることが分かる。 このような激しい運動は、人間なら、ボクシングのように、三分が限度だろう。

 それが休むことも無く、三十分たっても止めないものだから、私の方が根負けして、中断した。 痛いからではない。 この分なら、死ぬまで止めないかも知れない、と思ったからだ。 中断は簡単だ。 手を毛布に隠せばよい。

 少しでも指を動かそうものなら、その指に飛びつくし、死んだ真似をしていても、手のひらを動き回って、お前も、お前も、気に食わん、と辺りかまわず、満遍なく、指や手のひらに当たりちらす。



 チュンを、おちょくって悪いが、親指を左右に振ったり、回したりして、飛びついて来るところを、体をかわすのだ。 二三回、体をかわしていると、すかをくらって、チュンが手のひらから落ちる。 落ちるといっても、手は畳の上に置いているから、一センチもない。 すかさず、手を四五十センチ、素早く移動させる。 慌てたチュンは、猛然とその手を追ってくる。

 まさに猛然とである。 ジェット機が離陸体勢に入るとき、機首を下げて、パワー全開状態で、滑走路を突っ走るが、それに似ている。 チュンは、頭を下げ、両翼を拡げ、ときに、加速のため翼をばたばたとさせて、それこそ、ニ三歩で、追いついてくる。


 今度は、手のひらから、落ちないように用心して攻撃している様子だが、そこはスズメ、私の技にはかなわない。 また、すかを食って落ちる。 これを五分ほど繰り返せば、前述の三十分の運動量に相当するだろう。

 驚くべきは、人間なら肩で息する運動量であるにもかかわらず、呼吸の乱れが少しも無い様子である。 持久力、敏捷性、ともに、人間とは桁違いの特質を持っている。 空を飛べる訳だ。 例え、人間が翼を持ったとしても、とても飛べたものではない。

 そもそも、鳥が肩で息をしていているかどうか分からないのでは、と言われるかも知れないが、そうではない。 チュンが、こころ安らかに眠るとき、頸を曲げ、頭を翼に埋めて、スーハースーハー、と大きく肩(胸)を揺らす。

 それも、オーバーな演出と思えるほどに、である。 それに、人間と同じほどか、少し早い程度の呼吸回数であるから、まさに、人が眠るようである。 ハムスターやウサギなどの小動物の呼吸数と比較すると、桁違いに遅い。







§§§ 居候のチュン
 娘宅は、共稼ぎで、昼間、チュンは一人ぼっちだ。 旅先から電話でチュンの様子を聞くが、防寒のためと、淋しがらないようにと、置いてきた、家内のフリースの中から出てこないという。 病気か、すねているのか、随分心配したらしいが、餌だけはよく食べるとのことだった。

 それが、次に電話したときには、チュンは淋しがっていないという。 そんな訳はないと思ったが本当らしい。 朝方は、何しろ寒がりだから、フリースから出てこないだけ、ということが分かった。 出勤時に後追いされるとつらいが、少なくとも、それは無いようだ。 そのことを、淋しがっていない、と伝えてくれたのだろう。


 私は、後追いされるのもつらいが、無視されるのは、もっとつらい。 以前、一日ほど留守にしたことがあった。 そのとき、家に帰って、チュンに挨拶しても、全く無視された。 いくら大声を出して挨拶しても、黙って、知らぬ顔をしていた。 私の声だけがむなしく響くことほど、淋しいものは無い。 今のところ、それでも無さそうだ。

 次に、電話した時には、夜中の十一時過ぎから活動し始めて、娘を困らせているという。 誰もいない昼間は、フリースの中で眠っているのだろう。 仕事疲れで、しんどいにもかかわらず、淋しかろうと、仕方無しに、添い寝をしていると、土足で顔の上を、ペタペタと歩き回るらしい。


 これは、私たちも経験していることで、冷たい足で顔の上を歩かれると、吃驚する。 この感覚は経験してみないと分からないだろう。 起きているか、眠っているか、的確に見分ける能力を持っている。 チュンにしてみれば、子供がよくするが、早く目覚めて、まだ眠り足りない親を揺り起こすようなものかもしれない。






§§§ チュンと再会
 一ヶ月半ほどして、夜遅く帰国したが、何はともあれ、チュンを引取りに行った。 宵っ張りのチュンは元気だった。 私の呼びかけにも、チュン、と応えてくれた。 すねてもいない。 大切にされていたことが良く分かる。

 私たちも宵っ張りの体であるから問題ない。 家内は、その夜は、チュンと添い寝だった。 ただ、運動不足か、体力の衰えか分からないが、パワー全開の突撃の迫力が無い。 両翼を広げての格好は良いとして、スピードが無い。 とっとっとっ・・・と、私が走れば、このようなものだろうと思うほどの、走りようであった。


 それでも、元気でいてくれたことが、何より嬉しい。 こうしてパソコンに向かっている今も、チュンは、私の膝に、私のパジャマの裾に包まれて、眠っている。





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