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賢者のことば 連載7

賢者のことば


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2005/01/12
 フィリッピンからの賢者のことば (7) 戻る次へ




 ・・・ 身近にあるもの ・・・

幸福への とびらが 閉じているようでも
 別の処にもある とびらは 開いているものだ

 我々は 閉じている とびらを
  時として 見つづけてしまうものだから


開けていてくれる とびらに 気がつかないでいる




 これは分かりやすいですね。 典型的な、カソリック教会のお説教の言葉と思う。 お説教は、分かり易くなければ意味がないですからね。

 幸福にこだわって、探しても、とびらは見つけられないかも知れない。 チルチルとミチルが探した、あの 「青い鳥」 の話のように、すぐ身近なところにあることを、気付かないでいる。


 私が子供のころ、救世軍の人達が、時々、町にきて、子供たちを集めて、お説教をしてくれていた。 もちろん、お説教だとは思っていない。 話がとても上手くて、紙芝居どころではなかった。 紙芝居は、一日五円しか貰えなかった、その小遣いを出さないと、ただ見では、気が引けた。 こちらの話は無料だから、いつも10人以上は、集まっていたのではないか。

 日曜学校というのもあって、教会だったか、民家のようでもあったか、思い出せないが、顔見知りの近所の子供たちだけではなく、隣町の見知らぬ子らも集まっていて、昔話とかを聴いたりした。 今から思うと、私には出来ないような活動を通して、当時の大人たちは、子供達に眼を向けていたように思う。

 救世軍というのを、ご存知の方も少ないと思うけれど、数年前に心斎橋で、社会鍋といって、寄付金を入れる鍋を前に置いて、歳末助け合いの募金をしていたのを見たことがある。 その当時からの行事で、濃紺に赤いストライプが袖や襟に入った、軍人のような制服制帽姿も、昔と変わらない。 私が子供の頃は、とても凛々しく見え、後ろに行列して、ついて回ったりしたが、今は、とてもマイナーな気がして、身勝手にも、素通りしてしまった。

 残念ながら、話の内容は、すっかり忘れてしまったが、この詩のようなものであったろうと思う。 一方、有料の紙芝居の方は、何故か良く覚えている。 「黄金バット」 だとか、「鉄火面」 は、続きが見たくて、なけなしの小遣いをはたいたものだった。



 余談だが、5円と云えば、「スズメの卵」 が10個、買える程度だ。 しかし、銭湯も、子供は5円で入れたから、やはり嗜好品は、いつの世も高めかも知れない。 そんなこともあって、お金持ちの子供と、銭湯のはしごを、何度もしたことがあった。 もちろん、相手もちだ。 その子は、30円ぐらい貰っていたようだ。

 「スズメの卵」 は、今でも健在だ。 知らずに、口にしていることと思う。 単独で売られていることは、まず無いと思うが、ご存知の 「柿の種」 を、スズメの卵の形にして、中にピーナツを入れたようなものだ。 実際の話、これがスズメの卵と同じ大きさである。 二個一円で、ばら売りもしてくれた。



 私が小学生の頃といえば、大阪には、焼け野原がいっぱいあって、子供たちにとっては、格好の遊び場だった。 私の家の周りもそうだった。 大きな樹木こそ少なかったが、トンボもメダカもバッタもカエルもいた。 瓦礫の山が点々とある焼け野原も、今でいう緑豊かな自然と、何ら違いはなかった。 緑がないことを不幸なことだとは、思ってもいなかった。

 今では、焼け野原という言葉も、日本では死語であろう。 しかし、世界に眼をやれば、容易に想像がつくだろう。 復興には、とても長い時間がかかるだろうと思う。 大阪城公園が立派になったのも、この最近のことだ。


 しかし、大人と違って、子供の夢見る幸せは、殺し合いの無い世界であり、見せかけの復興ではない。 それさえ無くなれば、今直ぐにでも、子供達は、幸せのとびらを見つけることが出来るだろう。 大人のように、時間はかからない。






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