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《チェックイン check in》
  車のチェックイン check in (車庫入の意味。 車を返却すること。 ホテルのチェックインとは逆になる) を 《in》 と略記する。

《チェックアウト check out》
車のチェックアウト check out (車庫出の意味。 車を借り出しすること。 ホテルのチェックアウトとは逆になる) のことを 《out》 と略記する。

《チェックイン/チェックアウト check in/out》
車のチェックアウト (車庫出) 又は、チェックイン (車庫入)のことを 《in/out》 と略記する。












《鳥関連》 諺・金言・格言・ギャグ・その他



 cf. 行行子は祇園祭から口がさけて鳴けなくなる
 cf. 交喙 (いすか) の嘴 (はし) の食い違い
 cf. カメラマンの法則
 cf. カラスの早起きスズメの寝坊










阿呆の鳥好き貧乏の木好き (あほうのとりずき びんぼうのぼくずき)

【意味】 by ※3
 愚かな人が鳥を愛して飼ったり、衣食に事欠く貧乏人が木を愛玩したりするのは、無用の物好きである。 趣味も境遇による。


ぼく
 盆栽のこと
 古い木などの曲がりくねったり節くれ立って、面白みのあるもの by ※3



【参考】 by ※3
 阿呆の鳥飼
 阿呆鳥飼う馬鹿植木






 鳥好きにとってはショックな諺ではあるが、鳥観 (とりみ) が好きな人のことではありません。 安心してください。 というのも、お金持ちの道楽で、愛玩用に珍鳥を飼ったりするのとは、我々、バードウォッチャーと は一線を画しますからね。 また、「俺は阿呆や、それがどうした」 と開き直るのも良いではないか。

 「日曜日の遊び方 窓辺に作る バードガーデン」 *16 を家内が読んでいて、面白い諺があると教えてくれた。 もちろん鳥に関するもので、それがこの諺である。 2万もの諺を調べた結果、鳥が登場する成句が740種も見つかったそうだ。 まさに、鳥好きでなければ、出来ないことである。

 バードウォッチャーに対するものではないと思いながらも、いささか気になると書いていた。 私は、著者の、その視点や努力を讃えたい。  一方で、この諺についても、なるほどと、ニンマリされる方も多いのではなかろうか。

 そういえば、ネットサーフィンをしていると、時々、面白いものにであうのだが、後で思い出せないことが多い。 これからは、注意して、書き留めて置きたいと思う次第である。 なるほど眼から鱗の見方・考え方であることが多い。


ネットサーフィン net-surfing
 インターネットのホームページを、まるで波乗りするかのように、次から次へと乗り進み、探しものや興味のある記事を追い続けること










山雀金魚で煮ても焼いても食えぬ

【意味】 by ※3
 たいていのものは煮れば食えるが、山雀(ヤマガラ)と金魚は、煮ても食えたものではない。 また、煮ても食えないものでも、焼けば食えるものであるが、それでも食えたものではないらしい。 そこから、手に負えない、したたか者という意味になる。

 『山雀金魚みたいな奴やな、あいつは』 という具合に使うのであろうか。  ん ・・・ なにかいった ?!!?



 こういう昔からの言伝えのようなものは、実際に美味いか不味いか、科学的に検証されたものではない。 また、実際に食べ比べなくても、山雀も金魚も愛玩用として可愛いがられていたものであるから、食べてみようと思う方が可笑しいだろう。




 だから、煮ても焼いても食えないのではなく、食う気にならないというのが本当のところではなかろうか。 それに、美味いものは何でも、地味な色合いのものであろう。

 はじめから食指が動かないのが普通の人の感覚ではなかろうか。 また、科学的な検証を試みようとするのも的外れな行為でしょうね。

 手に負えない、したたか者と、直接的に表現したくないから使われている言葉であって、本当に美味いか不味いかということは全く問題ではない。

 このようにむきになって屁理屈をこねるのも、私の中では、好感度ナンバーワンのヤマガラが軽んじられているようで面白くないからである。

 それでいて、諺では煮ても焼いても食えないと言っているが本当は美味い、と言われても、これもまた困る。 そう言う輩がいる、いるかも知れない、ということを考えたくもないからだ。

 ではどうするか、二者択一となれば仕方がない、この諺を使うことを許す。










山雀利根 (やまがらりこん)

【意味】 by ※3
 応用がきかず、単に小器用なのをいう。 小才がきく。 小りこう。


 このことわざも私は好きでない。 ヤマガラのような芸をする小鳥が何処にいる? 応用が利かないとはよく言えたものだ。 応用が利くから芸が出来るのではないのか。 応用とはそんなものだ。

 応用が利かない自分のことをヤマガラよりましであると思っているのであろう。 とんでもない。


利根 りこん
 かしこい性質。 利口。 利発。 特に仏教で、宗教的素質・能力がすぐれていること。
by 広辞苑第5版 引用











烏の口から余った物無し

【意味】 by ※3
 カラスは腐った物でもなんでも食べぬ物がないことをいう。



 こんな悪食のカラスでも一つだけ食べないものがある。 「オケラ」 である。 次のような諺がある。





烏の口からケラが余る

【意味】 by *30
 カラスもオケラだけは食べないということ。




 オケラは、学術用語的には、ケラ であろうが、親しみを持って、あるいは、敬意を表して、関西では "オケラ" と呼ぶ。

 私が子供の頃は、夏の夕涼みどきに飛んできたものであった。 バッタほどの大きさで、如何にも地中に潜れるぞ、といったモグラのような頑丈な手をしていた。

 実際に軽く手を握ると、昆虫にしては、かなりの腕力で、指の間を掻き分けるようにして外に出ようとする。 それが妙に面白くて、よく遊んだものであった。

 また、ジージージーと夜中に土の中で鳴くのを聞いて、小さい子にミミズが鳴いていると言ってからかったものだった。 そんなオケラを、もう何十年と見ていないし、声も聞いたことがない。



 ケラ おけら
 小形の昆虫
 地下にすみ、前足の土かきで土を掘り、作物の根を食う。

 おけら。 これの鳴き声を誤認して、俗にミミズの鳴き声と言う。 〔ケラ科〕

表記 : 古来の用字は 「螻蛄」
かぞえ方 : 一匹
 by Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997




 何故に、おけらに敬意を表するかと言えば、オケラは万能スポーツ選手に例えられるからである。 即ち、空を飛ぶことが出来るし、水面を泳ぐことが出来るし、地中に潜ることも出来る。

 万能ではあるが、残念ながら一流ではない。 空を飛べるがトンボや鳥ほどでもない。 水上を泳げるがアメンボや魚ほどでもない。 地中に潜れるがアリやモグラほどでもない。

 私は自分のことをオケラ人生と称している。 なんでも興味を持ってするが、そこそこしか出来ない・しない、というものである。 一番というものを経験したことがないのである。















ヤツガシラはケラが好き
 カラスも食べないというケラを好んで食べる鳥がいるというから吃驚した。 韓国の調査では、ヤツガシラ の主食がケラという。 しかし、日本の調査ではミミズが好物という。 *30

 それもこれも、日本にケラが少なくなったということかも知れない。










アカショウビン (赤翡翠) が来ると雨が振る

【意味】 by ※3
 アカショウビン は、むかし、水恋鳥 みずこいどり とか、雨乞鳥 あまごいどり と呼ばれていたことに由来する。 アカショウビンの 「キョロロロ ・・・ 」 という鳴き声が雨乞いのように聞こえたから、近く、雨が振ると期待するのである。 また、それには、アカショウビンにまつわる悲しい昔話があるのである。

 cf. アカショウビンの名前の由来





むかしばなし ・・・ ケラに関すること
 昔むかし、ある所に母親と息子が二人で暮らしていた。 普通なら、孝行話になるのだが、この息子の場合、親のいうことを聞かないばかりか、意地も悪かった。

 母親は息子の行く末を案じて、心配のあまり、ついに病の床に臥してしまうのであった。 そして、喉がからからに渇いていたので、息子に 『水を一杯おくれ ・・・』 と頼んだのである。



 それを聞いた息子は、何を思ったのか、囲炉裏で赤々と燃えている薪を一本抜き取って母親のところへ持って行ったのである。

 ただ、いうことを聞かない息子なら、まぁ、それが普通と思うのだが ・・・ ここまでするとなると天罰が下っても仕方がなかろう。


 母親は悲しみと、ショックで、そのまま息をひきとったということだ。 一方、このような結末になるとは、息子の方も、予想していなかったに違いないと、私は思うのである。




 若者のだけが持つ、みなぎる生命力そのものが、病の床に伏せるものの気持ちや、また、それを推し量るといった思慮深さは、寄せ付けなかったと思うのである。



 『どうや、おかあちゃん? この炎を見てみ。 エネルギーに満ちみちてるやろ。 はよう元気になってや。 水はすぐ持ってきたるさかい ・・・』 と心で叫んで、後先を考えるより先に、身体の方が動いてしまうのであった。

 そして、あとになって、起きてしまった事の重大さに気づくのである。 その後悔と落胆の気持ちも、また、言葉では言い尽せないだろう。



 敢て、言葉で表現するならば、息子の体は、手に持った薪の炎のように真っ赤に燃え上がり、ついにはアカショウビンになったということだ。


 そのアカショウビンは、喉が渇くたびに水を飲みに行くのであるが、水面 みずも に映る自分の赤い姿が炎のように見えて、それが母親への仕打ちの思いと重なり、どうしても飲めないのであった。



 仕方なく、アカショウビンは、雨が降ってくるのを待つしかなかった。 そして、その雨水を少しずつ飲むことによって、命を繋ぐことができたのである。

 アカショウビンが、いつも雨を恋しがって、水恋鳥 みずこいどり とか、雨乞鳥 あまごいどり と呼ばれるのも、こういった訳があったのである。





 実際に、アカショウビンがよく鳴く繁殖期が、ちょうど6月から7月にかけての梅雨どきであること、また、雨天の日や曇り空の日にもよく鳴くので、昔の人がお天気を予知する鳥として親しまれていたのもうなずける。


















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