私のチュン 連載17
私のチュン
猫の猫舌は有名であるが、それが、どの程度の熱いものが食べられないのか、私は知らない。 それでは、犬は、猫舌ではないのかと言えば、そんなことはないだろう、と私は即座に、いちゃもんをつけるだろう。 本当のところは、犬を飼ったことがないから、知らないことではあるが、数学における証明の常套手段である演繹法による推論で、その様に思うのだ。
即ち、およそ人間以外の動物で、煮たり焼いたりして、物を食う動物はいない。 だから、人間以外の動物は、熱いものを食うと吃驚するだろう。 何しろ初体験であるから。
現に、猫は、熱いものが食べられない。 それに、私のチュンも熱いものが食べられない。 ところで、犬は人間以外の動物である。 だから、犬も熱いものが食べられない。
見事な証明と思うが、この(屁)理屈に、いちゃもんをつけたくなる人も、多々おられることと思う。 変人と思われても、一向に構わないと思われる方は、理由を添えて申し出られたし。
§ チュンの猫舌の程度
チュンに飯粒を食べさせる場合、お茶碗に盛って与えるのではなく、私が、いちいち、口に含み、粘り気を取ってから、一粒ずつ与えていることは、前に記したとおりである。
cf. 私のチュン(15)
あるとき、普段どおりに食べさせていると、口に咥えたかと思ったら、ぺっ、と吐き出し、頭をぶるっと振って、口をパクパクさせた。 熱かったのであろう、その仕草で直ぐに分かった。 別に、アッチッチーと声に出さなくても、不思議に分かるものである。 ここで、口と書いたが嘴のことか? と、ちゃちゃを入れる人もいないと思うが、嘴のことである。
私には、熱くも何ともない温度であった。 ただ、飯粒とは言え、私が感じた表面の温度と、チュンが飯粒をかじって感じた中身の温度は違うかも知れない。
普通、口に含んで熱くなければ、飯粒の温度は、70度以下であろう。 仮に、70度とする。 また、私の体温(平熱)は36.5度である。 そして、その飯粒が私の体温まで下がる時間は、飯粒のボリュームに比例する筈である。
米数粒のボリュームと比熱が分かれば、その時間が計算できるし、それも可能であるが、計算するまでも無く、5秒とかかるまい。 これを5秒と仮定する。
それが、チュンを吃驚させたときは、二三秒程しか口に含まなかったように記憶する。 これを仮に、2.5秒とする。 飯粒を口に含むのは、粘り気を取り除くことが、主な目的であったから、その中心部の温度のことまで考えが到らなかった次第である。
このように仮定すると、70度の温度のものが、36.5度に下がるのに、5秒かかったのである。 言い換えれば、5秒で、 33.5度 (70-36.5=33.5) の温度降下があったということだ。
だから、その半分の2.5秒では、 降下温度も半分になるから、16.75度 (33.5÷2=16.75) である。 以上のことから、チュンが熱くて吃驚した、そのときの飯粒の温度は、約53度 (70-16.75=53.25) ということになる。
チュンの体温は、以前、測定したように、約40度であるから、自分の体温より13度ほど高ければ、とてつもなく熱い食べものと感じるようである。
cf. 私のチュン(3)
そして、この体温差13度という値は、案外、一般的にも通用するかも知れない。 人間の場合に当てはめてみると、その温度は、約50度 (36.5+13=49.5) ということになる。 この温度では、いくら熱い湯が好きな人でも、風呂には入れまい。 風呂にも入れないような温度のものを食う方がおかしい、といってもよいのではないか。
§§ 飲むのも技術
私は、100度のお茶でも飲めるが、かといって、特に、私の咽喉・口腔が熱に強いというものではない。 無用心に熱いものを口に入れて、熱いと思ったが、あとの祭りである。 一旦口に入れたものは、おいそれとは吐き出せない。
知らぬ顔をして、その場は取り繕えても、体は反応する。 口蓋の粘膜が火傷したのだろう、暫くしてから、水ぶくれしていることに気がつくが、それでも知らぬ振りをする。 口の中がぶよぶよして気持ちが悪いが、それを我慢をしていると、終には、それが破れて、口の中に垂れ下がるという経験をしたことが、何度もある。
いつだったか、気持ちが悪いから、どのような状態になっているのか、鏡で覗いて見たことがあった。 それが、どす黒い腫れ物であったから吃驚した。 こんなことは、初めてであった。 何か悪い病気かと思って、医者に飛んでいった。 すると医者は、私の口の中を見て、潰しときましょか、といって針かメスで、ちょいと触ったのを感じた。
その腫れ物を潰したのであろう。 そして、口をゆすいで下さい、といって終わりである。 ものの一分とかからなかった。 不安な面持ちで小一時間待たされた挙句がこの結末である。
何のことはない、火傷をしたところを、気持ちが悪いものだから、舌で触っているうちに、傷んだ粘膜の毛細血管が破れたのであろう。 血液とリンパ液が出て、粘膜内に溜まっていたのである。
これぐらいの処置なら私にでも出来る。 時間的、経済的ロスであった。 このように、肝っ玉の大きくないところを公表したのは、あくまで、普通の咽喉・口腔の持ち主であることを示したかったからである。 その私が、100度のお茶でも飲めるのである。 そして、これは、猫舌かどうかという問題ではなく、要するに、「すする」 という技術の問題である。
まず、口に含む前に、ふーふーして、お茶の表面温度を下げておくのである。 ふーふー程度と馬鹿にしてはいけない、ほんの表層の、それも一ミリ以下の薄さではあるが、温度を下げる効果はある。 これだけで、その表層温度で、80度ほどには下げられる。
それでも高いようであれば、ふーふーふー、と回数を増やせばよい。 また、時間を掛ければよい。 このことで文句を付けられることはないし、また、作法にもかなっている。 大体、作法が、どうのこうのと、五月蝿く言う人は、こんなに熱い茶は出さないものであるから、心配することはない。
そして、「すする」 技術のことであるが、この80度の表層一ミリ以下の厚さにあるお茶だけを、空気と一緒に、それも、お茶と空気を混濁・攪拌させながら吸い取るように、口に含むのである。 この混濁・攪拌の過程で、お茶の温度は、さらに、65度程までに下げることが出来るだろう。
この、過程では、しゅしゅしゅっ、と音が漏れ出ることになる。 それも構わない。 私には、風流な音として感じるが、西洋では、この音は、下品な飲み方として嫌われるかも知れない。 それでも、それは文化の差というものであり、何の恥じるところではないし、また、しようがない。 しかし、うどんをすする時のような、ずるずる音では、いけない。 これでは、混濁・攪拌が不十分な証拠であり、口内火傷は免れまい。
空気は、意外に熱伝導率が低いので、混濁・攪拌により、空気の膜が、口内での急激な熱の伝導を防ぐことになるので、体感温度が緩和され、徐々に、許容範囲の50度へと降下していくことになる。
それから、喉に通すことになるが、ここで慌ててはいけない。 あくまで、許容温度になるまで、待つべきである。 でないと、今度は、喉が火傷する。
話が長くなったが、結論を言うと、人間でも、猫舌の人がいると聞くが、これは、単に、飲み方食い方が下手であるに過ぎない、ということである。 更に付加えれば、状況判断欠乏症とも言える。 何も考えずに口に入れるからいけない。 これは悪口ではない。 我がことの事である。 熱いものは誰にでも熱い。 火傷もする。
それでも、猫が猫舌というのは、うまく言い当てているかも知れない。 というのも、猫の体温は、人間並みであろうから、チュンより低い筈である。
ということは、50度ほどの温度のものでも、よう食わんということになる。 また、私のような技術も持っていない。 間違いなく、猫は、チュンより、猫舌であろう。
§§ お茶を紅葉(もみじ)に点てる
私は、お茶に関しては、熱くて、もみじ(紅葉)に点てたものが好きである。 と言って分かる人は、余程の落語好きの人に違いない。
落語で聞いたことがあるが、ご隠居さんがお茶を飲みたいからと、奥さんに、「茶を紅葉(もみじ)で頼む」 と言っているのを、熊さんが聞いて、何のことかと尋ねるくだりがある。
すると、ご隠居さんは次のように応えた。 もみじは、紅葉(こうよう)と書くだろう、だから、その 「こうよう」 というのを、大阪訛りでは、「濃う、良う」 と言う意味にもとれるからであると。
お茶一つ頼むのも、風流を心得た以心伝心の妙に、それとは対極にある、熊さんはえらく感心した。 家に帰った熊さんが、早速、その真似をして失敗する話だったと思うが、そこのところは忘れた。
私も、熊さんが、えらく感じ入ったところだけを真似をして、今も、家内に無理強いしては、風流がっている。
チュンはアイスも好き
猫舌の反対は、何と言うのだろう。 どれほど冷たいものまで食えるかという問題である。 氷や雪は、熱いところに棲むものでなければ、野生動物は経験したりする事であろう。 好んで口にするかどうかは知らないが、口にしたことがあるかも知れない。
私は、赤ちゃんに氷を初体験させたときのことをよく覚えている。 小さな氷のかけらをスプーンに乗せて、口に含ませた。 何を口に運ぶかは、あくまで私の選択に任されている。 赤ちゃんにとっては、何であれ、一旦、口に入れたあとで、美味いも不味いも判断せざるを得ない。 それは、私を信頼している証拠でもある。
すると一瞬ぶるっと体を震わせ、吃驚したような表情をするが、あくまで一瞬であった。 意外ではあるが、心地よいもの、美味いものとして判断したようである。 二回目からは、ためらいもなく、また、口に含んだから。
チュンにも同じ初体験をさせようと考えた。 ところが、チュンは初めて見るものに対して、非常に保守的である。 スプーンとか、箸で食べさせたことがないから、それを怖がる。 スプーンにアイスを乗せて口元に差し出すと、身を後にそらして、手を出す気配はない。
信頼関係が、薄いといえば薄いということだ。 それでも、ある種の信頼関係があって、多少の無理強いは可能である。 米粒でも、何であれ、満腹すると、それ以後は、一切受け付けず、横を向くようになる。 眼をそらして、それが見えていませんよという顔をする。 それでも、また、その横を向いたところへ差し出すと、反対側を向いたりする。
これを何度も、繰り返していくと、もう、しらばっくれが出来ない状況に陥るのであろう、形ばかりに口を出す。 要するに、ある程度、強制が効くということだ。 これは、一種の信頼関係であり、サラリーマンの方なら、また、サラリーマンを経験した方なら、誰しも分かってもらえるであろう。
この強制の技を使って、何度も尻込みするのを構わず、口元まで持っていくと、今度は、怒ってか、嘴でスプーンを突つきにくるようになる。
それでも、さらに強制すると、突ついた拍子に、アイスが口に付くことがある。 思わず、むにゃむにゃするが、これが美味かった。 次から、ためらいつつも、自ら啄ばむようになるから、可愛いもんである。
このようにして、私も好きではない黒酢入りのカスピ海ヨーグルトも食べたから、チュンは偉い。 それにしても、何を食べさしたら、羽毛が生えてくるのであろうか。
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