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賢者のことば 連載23

賢者のことば


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2008/10/03
 フィリッピンからの賢者のことば (23) 戻る次へ




 ・・・ 婚約している人たちへ ・・・

お互いの相性を計る物差しについて言えば、それは
 一緒に過ごした年月の長短ではなく

  むしろ、そのときの居心地のよさの程度について
   お互いに思い測ることが大切でしょう







 確かに、言わんとすることはよく分かるのであるが、婚約中の方々に贈る言葉としては無難すぎるものではなかろうか。 言い換えれば、無難ということは、大して心の支えにはならいもの、と私は思うのである。

 婚約しようと思う人たちが "年月を尺度" にすることがあるだろうか。 ましてや、長い方がよくて、短い方が悪いという考え方自体、はじめからないのではなかろうか。 要するに、初めから考えにないものを引き合いに出されても、あぁ、そうですかで終わってしまう。

 また、計算ずくの遺産目当てに婚約するのではない、普通の人なら、居心地の程度を聞かれても、悪かろう筈がない。 いつまでも一緒にいたいと思うからこそ婚約する気になっているのである。

 居心地がいいのは当然のことなので、これもまた、引き合いに出されても、あぁ、そうですかで終わってしまうに違いない。

 いづれにしても、そんなものが計れたら何も悩んだり心配したりすることはない。 この賢者の言葉で救われる思いがするとは思えない。

 これからお互いに行く末が分からないまま一歩前へ踏み出そうとしている人たちに対してではなく、むしろ、不幸にして早逝された伴侶を偲ぶ方たちへ贈る言葉とする方が相応しいのではなかろうか。 人生は長短では測れないと言うのは真実であると思うからだ。
 





 一方、婚約している当人たちの思いは、人生ばら色真っ盛りかというとそうでもなく、真剣であればあるほど、これほど不安に満ちた日々もまた、他になかろうと思うのである。 人生最大の選択を前にして、悩まないという方がどうかしている。

 この人を幸せにすることが出来るだろうか、この人と上手くやっていけるだろうか、などと心配事が募るばかりである。 一方、そんなことは一切無かったと言われる方も、中にはおられようが、「それは、ご馳走さま」 というしかない。




 こういった悩ましい婚約期を送られている人たちへ贈る言葉の代替案を出さねば、これまでの屁理屈が、それこそ文字通り、屁のような理屈になってしまう。  いろいろ思い当たるものがあるが、
『馬には乗って見よ、人には添うて見よ』 ※3
 人は親しくしてみねば、性向の良し悪しを判断することができない。 食わず嫌いをしていてはなんともならない。

 というのは、いかがかな。




 この前、50数年振りに小学校の同窓会に参加したことがあった。 それぞれに、昔の面影があり、変らないものがあるのは不思議なものである。

 そういったクラスメートや、現役の頃の会社メートや、ご近所メートや、それに加えて、街中で、旅先で、ただ、すれ違っただけの人たちを含めて、「この人とだけは、一緒にやって行きたくない」 と感じた人は、一人もいないと私は断言できる。

 相手の気持ちは知らないが、それぞれに、魅力的である。 縁があるかないかだけが二人を結びつけるものであろう。

 そして、婚約まで漕ぎつけた縁というものこそ信じて、一歩前へ踏み出すべきだろう。 それに、人生ばら色真っ盛りの頃というのもまた、後から思い返せば、間違いないことである。





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