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賢者のことば 連載13

賢者のことば


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2005/08/08
 フィリッピンからの賢者のことば (13) 戻る次へ




 ・・・ 無償の愛 ・・・

あなたの すべての愛を
誰かに 捧げるとしても

その見返りとして 愛されるという
保証は 何もない





 この言葉のような話は、よく耳にしますね。 いわゆる、「無償の愛」 ということでしょうか。 カソリックの世界で、愛を語るときの、バックボーン的な言葉でしょうね。




世界宗教へ
 キリスト教誕生以前の宗教は、「悪いことをすれば、~のような罰を受ける」 とか、「汝 ~するなかれ」 といった、戒律に重きを置いていた。

 ところが、キリストは、「悔い改めれば、罪は許される」 と言ったという。 そこのところが、今までと違って、新鮮であったに違いない。 この賢者の言葉が言うところの、愛の心だろうか。

 そして、これ以上はない、と思われるほどの受難を、世の、いわゆる罪びとたちに代わって一身に引き受け、身を持って、その信念を示した。

 だからこそ、多くの人の心を捉え、土着の宗教から世界宗教へと転化していった、と言われている。 もちろん、私は信者でも、何でもないから、聞きかじりで、間違っているかも知れない。

 cf. 聖地とは何か
 cf. 雪山神木
 cf. ジャンヌの彫像





愛と恋の違い
 NHK人間講座 2005年2月~3月期 「人生・愛と美の法則」 美輪明宏 (むかし、「ヨイトマケの唄」 を大ヒットさせた、歌手・俳優) から、彼の言葉を紹介します。


恋は自分本位で、自分を中心に地球が回っている。
愛は相手本意で、相手を中心に地球が回っている。


恋には裏切りがある。
愛には裏切りは存在しない。


 そして、「愛の賛歌」 を歌った、エディット・ピアフ Edith Piaf の話を引き合いに、この 「恋と愛の違い」 について、語っていました。

 ピアフは大道芸人の娘として生まれ、路上で歌う少女時代を過ごすが、また、恋多き人でもあった。 恋のなせる業(わざ) である、自分本位のこと、裏切ること、その、すべてのことをしてしまう。

 ピアフに読み書きを教え、教養を身につけさせたくれた、かっての恋人を捨てる。 その頃、クラブ専属の歌手にスカウトされ、次第に有名になっていったからかも知れない。 そして、ときに、それ故に、酒に溺れたりする波乱もあったが、シャンソン歌手として、最高峰の位置を占めるにいたった。

 この頃、トラック運転手だった、イタリア出身のイヴ・モンタンを見出し、交際するようになった。 彼のイタリア訛りを直したりして、一人前にデビューさせると、また、彼に飽きたからといって、捨てた。 名声を得たが、何百人という男を渡り歩いた。

 それでも、そんな彼女にも、ついに、愛に目覚めるときが来た。 妻子あるボクシングのチャンピオンを愛するようになる。 三角関係の不倫ではあったが、いさかいがなかった。 恋ではなく、本当の愛だったからだという。


 愛の賛歌は、このような中で生まれた。 彼女の作詞であるが、作曲も、そうではないかと、言われている。 そして、越路吹雪が歌ったように、ご存知の、あの歌詞は、彼女の思いを伝えていないと、美輪明宏はいう。

 美輪明宏は、フランス語で歌う前に、ステージで、その直訳を語ったそうだ。 確かに、彼の訳のほうが、胸を打つが、ここでは、紹介しきれない。
 

 不幸なことに、この愛も、つかの間、彼は、飛行機事故で亡くなってしまう。 愛が故に、残された妻子には、自分は借金だらけなのに、仕送りも続けた。 また、愛が故に、喪失感を紛らわせるためかも知れない、ピアフは麻薬に溺れ始めた。

 四十を過ぎたほどなのに、老いさらばえ、次第に名声も落ち、世間から忘れ去られていった。 再起不能、とさえ、いわれていた。

 このような中で、ピアフに、過酷な運命を強いた神様が、最後に、ご褒美をあげた。 そのように言われている。

 病室で寝ているピアフの髪を整えるために、ギリシャ語で 「サラボ = 愛している」 という意味のニックネームを持った、テオ・サラボという、ピアフより、二十一歳も若い、長身の、絶世の美青年を遣わした。 ギリシャ出身の美容師だった。

 彼は、ピアフを愛するようになった。 そして、彼女に尽くした。 さらに、結婚を申し込み、ついには、ピアフを立ち直らせた。

 ピアフも、また、これに応えて、素人の彼に、歌を教え、二人でコンサートもしたりした。 やっと幸せを掴んだというのに、掴んだところで、ピアフは亡くなってしまう。

 テオ・サラボは、ピアフが残した莫大な借金を返すために、必死になって働いた。 しかし、その彼も、やっと返し終わったところで、交通事故で亡くなってしまう。 まるで、彼女に呼ばれるようにして。

 そして、彼女のそばに葬ってくれとの、彼の遺言どおりに、お墓に、二人並んで眠っているそうだ。
 

 まさに、彼は、無償の愛を貫いた。 ピアフさえ、幸せでいてくれたらと、相手本意で、愛を捧げた。 ここには、裏切りが入る余地も無い。 テオ・サラボは、神が遣わしたとしか思えない。




《補追》 2006/09/05
 今日、NHKのスタジオパークを観ていたら、美川憲一がこの 「愛の讃歌」 のエピソードを語っていました。

 愛の賛歌は、エディット・ピアフがボクシングのチャンピオンを愛するようになって、その幸せなときに作られたものではあるが、歌うことはなかったという。 そして、私はいま幸せだから、あなたが唄ってよと、イベット・ジロー Yvette Giraud に、この曲を贈ったそうである。

 ところが前述のとおり、幸せは長くは続かなかった。 その愛する人が飛行機事故で亡くなったという報を受けたとき、彼女は急遽、イベット・ジローから発表寸前のその 「愛の賛歌」 を返して貰ったという。 鎮魂の気持ちとともに、悲しみに耐えるには、自分で歌わずにはいられなかったのであろう。

 そして、本当に幸せなときの 「思いの丈」 というものは、心の中でこそ思い描くことは出来ても、口には出せないものである。 それというのも、愛の大きさは測れないからではないだろうか。 例え、自分の思いの丈は測れたとしても、幸せというものは、自分ひとりのものではないからである。 ちっぽけかも知れない、大げさかも知れない。

 それが、愛する人をなくして、自分ひとりの思いの丈でよいとなれば、誰にはばかることもない、口に出来るものであろう。 そして、そのエディット・ピアフの愛に対する思いの丈は、そのドラマティックな人生とあいまって、我々に感動と共感を与えた。 






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