賢者のことば 連載22
賢者のことば
純真(うぶ)な人へ ・・・ 恋の手ほどき ・・・
その人のことが 本当に恋しいのなら つまずく程度ではだめ
起き上がれないほどに 身を投げ出すの
迷ってはだめ 信念を持つことよ でも、しつこすぎてはだめ
そして、分ち合うの 何でも ズルは駄目よ けっして
理解することよ相手を 要求するのではなくて
傷つくことを恐れないで 身を投げ出したんだから
それでも 痛みは抱え込まないで いつまでも 傷ついたまま
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恋は成就することも、また、成就しないこともある。 往々にして、成就しないことの方が多いように思われるのはどうしてだろうか。
誰でも良いというものではないからである。 そして、うぶな頃の恋心と言えば、初恋をおいて他にあるまい。 初恋は幼稚園の頃だった、というような話をよく聞くが、それとは別の話である。
もし、その初恋の頃に、この賢者の言葉に出会っていたとしたら、その恋は成就したであろうか。 私の場合は、確信を持って、"否"
と答えるしかない。
うぶだから、経験が浅いからというものではなく、性質 (たち) の問題であろうと思うからである。 今の私は、うぶでもなければ、経験も浅からぬものと思っているのだが、このまま当時の頃にタイムスリップしたとしよう。
そして、ああして置けばよかった、こうして置けばよかったと、今思うことを、実際に実行できるものとする。 それで上手くことが運ぶだろうか。 答えは限りなく
"否" であろう。
映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー Back to the Future』 にあったように、タイムマシンで未来からやって来て、競馬の結果を知っているのなら、勝ち馬を当てて大金持ちになれることは理解できる。
ところが、私の初恋の場合には当てはまらない。 初恋が成就するところまで、事細かに手順を追って、この目で見た訳ではないからである。 見届けたのは、片思いに終わるところだけである。
せっかくタイムマシンでやって来たのであるから、考えていたことを実行に移すことにしよう。 かって言えなかったことを言ったとする。
その一言に対する彼女のリアクションが、『うれしいわ。 私もよ』 というのであれば、初恋は成就したのも同然である。 しかし、それでは話が出来すぎだろう。
かといって、『アホちゃうか。 なに考えとんねん』 というのでは、想像するだけでも自分が可哀そうであるし、そのようなことを言う人も少ないであろう。
先ずは、当時の社会的情勢も考慮して、『お友達として・・・』 ということに落ち着くものと仮定しよう。 いずれにしろ、彼女のリアクションは初めて経験することであろう。 そして、ここから先は、未来から来たといえども、裸の自分がいるだけである。
今の私が冷静に考えたとしても、自立していない自分に何ができる? とか、この初恋を前にしても、優柔不断な性質は矯正のしようがない。
ならば、この賢者の言葉は何の役にも立たないのかと言えば、そうでもない。 恋が成就するかしないかは、出逢いの問題である。 そして、出逢いのチャンスは、それほどあるものではない。 それこそ、誰でも良いというものではないからである。
恋が成就するかどうかは分からない。 しかし、傷つくかもしれないが、身を投げ出さなければ、恋は掴めないというのは本当だろう。 また、身を投げ出せばつかめるかというと、そうでもないというしかない。
そして、恋に破れ、傷つき倒れることの方が多いのは、今もむかしも変わらない。 だからこそ、この賢者の言葉があるような気がしてならない。 早く立ち上がって歩きだして欲しいと願っているのである。 成すべき事はなしたのであるから。
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