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賢者のことば 連載9

賢者のことば


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2005/02/26
 フィリッピンからの賢者のことば (9) 戻る次へ




 ・・・ いま、この一瞬を生きる ・・・

見なさい   あなたが思う  夢を
行きなさい  あなたが思う  処へ
なりなさい  あなたが思う  人に

一度きりの  いのち
だから  一度きり ・・・
思うことが  出来るのも





 この詩もまた、賢者の言葉(1) と同じで、生れてきたものの、究極の目標でしょうね。 言われるまでもなく、分かっていることですね。

 問われれば、誰しも、そうありたいと、思う。 それでも、具体的に答えられないまま、日常に忙殺されて、思い出すことすらない、というのが本当のところではないでしょうか。

 アレキサンダー大王やシーザーといった世界の歴史を動かした人たち、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康といった日本の歴史を動かした人たち、学問・芸術の分野、企業家、宗教家、その他諸々の偉人たちと言えども、この問いかけには、自分を満足させるだけの回答は持ってはいなかったと思うのです。 何故なら、「一度きりの いのち」 だからです。





日常を生きる
 志が高ければ高いなりに 「思うこと」 も多いでしょう。 やり遂げたことの量や大きさや質の高さが ・・・ たとえ凡人より遥かに越えていたとしても ・・・ 「思うこと」 に 「これで終わり」 ということはないでしょうね。

 そして、確かなことは、このような世の偉人と云われる人たちも、日常とかけ離れた 「思うこと」 に邁進した分けでは決してなかったということに思い至ることでしょう。

 ことの大小や質の良否とは関係なく、ある人は、その日の糧を得るためかも知れないし、ある人は、命をやり取りする戦いの準備かも知れないが、立場や境遇の違いはあっても、全て日常のことだ。 言い換えれば、逃避ではなく直視して(夢)、一度きりの今と(処)、どう向き合うのか(人)、という話だろう。


 この詩の言うところの 「思うこと」 を意識して、日常を大切に生きなさいということだと思うのです。 「思うこと」 といっても、決して、先のことを思い描くだけのことではない。




而今 じこん
 先日テレビで、水上勉 (1919/03/08 - 2004/09/08) が病苦と闘いながら、禅でいう、而今 じこん という言葉を知って、救われたという話をしていた。 亡くなる少し前のことだという。

 而今は、「今の一瞬」 という意味だそうです。 「いま、この一瞬を生きる」 と言うことだそうです。 まさに、この詩の意味するところではないでしょうか。 洋の東西を問わず、表現は違っても、同じことを意味しているんですね。

 水上勉は、衰え行く身と、死の恐怖と、病も重なり、執筆も進まず、竹薮の風鳴りにも死神の幻覚を見て、怯え、付き添いの人を真夜中でも起こしていたと言う。 身近に迫る死の恐怖のプレシャーは、相当大きいものだったと云っていた。

 今でいう鬱病かも知れない。 それが、リハビリに通っていた病院で、自分よりもっと苦境にある人たちが、それこそ懸命に生きようとしている姿を見て、「いま、この一瞬を生きる」 大切さに気づいたと言う。

 以来、幻覚は消え、何の作品か忘れたが、それが賞を取り、普段は好まなかったものを自ら申し出て、車椅子で授賞式に出席し、挨拶した。

 確かに、最後の力を振り絞っての話し振りの様子で、小さく、途切れ途切れに、『私の文に、借り物はないはずです』 といっていた。 文人の誇りでしょう。 それが、公式の場での、最後の言葉になったという。




【歴史観】
 そして、歴史を振り返れば、表舞台で活躍した人だけが、歴史を作ったのではなく、名もない、それこそ数多くの普通の人たちがそこにいたし、それにかかわってきた。

 それも、日本だけの話で終わるのではなく、世界とのかかわりの中で、例えば、交易とか、信仰とか、これまでの歴史観では、表に出てこなかった人たちも多くいた。


 そのように懸命に生きてきた普通の人たちの視点からも、そして、かっての歴史上の人物も、また、その一員という視点から、これからの歴史は、語られるに違いない。

 また、そうでないと、普通の人は、やってられない。 そして、これは、今、話題の 「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」 の著者、若桑みどり の歴史観でもあるのです。

 cf. 天正遣欧少年使節







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