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海外ドライブ 連載18

海外ドライブ


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2006/02/21
 海外ドライブ旅行のすすめ (18) 戻る次へ


 3.4.4 これでいいのかチェックイン
 初めてレンタカーを使った海外旅行で印象に残っているのは、車を借り出す時よりも、むしろ、返す時であった。 あまりにも、そっけないというか、いい加減である。 それだからこそ、手続き上で、何かしら、不安が残り、事実、その不安が的中した。




§ ねぎらいの言葉もない
 私の場合、殆どが乗り捨て契約である。 だから、out した場所と、in する場所は当然のことながら、異なってくる。 国も違うことが多い。

 このように、国も異なり、人も異なるところから入る情報を統合して、車のレンタルという商品の賃貸契約を履行するのであるから、簡単なシステムではない。 間違い・手違いもあるだろう。

 また、これまで、日本でレンタカーを利用したことがなく、比較すべき情報の持ち合わせが無かったからかも知れないが、何かにつけ、レンタカーシステムの完成度が、まだまだ低いような気がしてならなかった。


 いづれ旅も終わり、車を返しに行くときが来るが、実際のところ、無事に車を届け終わらなければ、旅は完結しない。 そして、車を返しにいくというのは、特に海外旅行では、初めて訪れる街の、初めて訪れる営業所であるに違いない。

 更に、これまで快適だった田舎道を走るのではなく、大都会の馴れない街中を走らなければならない。 それも、営業所を探しながらの運転である。 飛行機も着陸するときが一番緊張するというが、海外ドライブでは返却時の最終走行がこれに相当するであろう。

 そして、レンタカーの経験がある方なら、分かって貰えると思うが、無事に車庫入れが出来た時の安堵感というか、達成感は、人を高揚させるものがある。


 それが、車庫で車を受け取る担当者は、簡単な外観検査とガソリンの満タンチェックと走行距離の確認をして、『はい、いいですよ』 といって終わりである。 さらには、空港にある営業所だったが、担当者が机の前に座っていて、その前に車を止めただけなのに、『ハイ、OK』 ということであった。 チェックも何もしなかった。

 一度だけであったが、『お疲れ様。 やったね』 と言われたことがあった。 ハーツ Hertz のウィーン Wien の営業所の女性職員の方だった。 こちらは気分が高揚しているから、そう言われると、とても嬉しいものである。 是非とも、見習って欲しい接客態度であった。 接客サービスでは世界に冠たる日本ではどうなんだろう。





§ 受取を証明するものがない (クレジット払い契約の場合)
 車を返却すれば、受け取りのサインとか何か、その受取を証明するものが、貰えるものと思っていた。 それが、友人から借りた車でも返すように、そっけない。 本当に、これで帰っていいのかと聞くと、クレジット払いの契約だから、これで終わりで、帰って良いという。 私が、何を聞きたいのか、理解できないようであったから、諦めて、そのまま引き揚げた。

 後になって、傷があったの、時間オーバーだったの、満タン返しになっていなかったーの、最悪を想像すれば、車が返却されていなかったーの、などなど、難癖がつけられないか、随分心配したものだった。

 帰国後、そのことを同僚に話すと、そう言えばそうだったな、と言うだけである。 皆さん、気にしていないようであった。 車を借りた時の契約書の写しは持っているから、そこに新しく、追加の記載が無ければ、万事、問題ないと言うことかも知れない。

 後から、分からぬ請求が来ても、契約書に記載していないと言って、突っぱねることが出来るのであろうと想像できる。 何しろ、何事も、契約社会と聞くからである。

 本当に、そうだろうか。 もし、それが本当なら、私が、車を路上に放置したまま、帰国しても良いことになる。 ところが、契約社会の契約は、そんな甘いものではない筈である。 きっと、小さな文字で、例え、返却後であっても、「不備不具合が発見された場合には弁償しなければならない」 という具合になっているのではないか。




§ 心配したことが起こった
 このような心配ごとも忘れた頃、クレジット会社から請求が来た。 私は、ああそうかと、請求の詳細は確認していなかった。 ところが、家内は、予想と異なる金額に気がついた。 契約書の料金と計算が合わないようであった。 もちろん為替レートの変動を考慮してもである。

 クレジット会社に電話で確認すると、レンタルした日数が、1日長くなっていた。 その日は、もう飛行機に乗っていたのに、請求されていた。

 そのことを電話で説明すると、搭乗券の半券はあるかという。 家内は、駄菓子の領収書まで持って帰るのを常としていたから、搭乗券は当然のごとく、手元にあった。 すると、それをFAXで送れという。 面倒ではあったが、FAXでコピーを送った。 数日後、あの請求は間違いでしたとの、連絡があって、次月の請求で、差し引き処理を行うという。

 搭乗券の半券がなかったらどうなるのか。 普通、そんなもの何ヶ月も持っている方が少ないのではないか。 今思うと、原因の究明と再発防止策を、書面で送るよう要求すればよかった。

 何事もコンピュータで処理される時代に、日数の計算ミスでした、とは言えないだろう。 また、契約書は正しいから、入力ミスでした、とも言えないだろう。 また、正直に、日本人は細かいことを言わないから上乗せ請求した、とも言えないだろう。 どんな原因になるのだろうか。

 クレジット会社は、レンタカー会社から言われたとおりの請求をユーザーに送りつけているのであろうか。 契約書は見ていないのであろうか。 それとも、改ざんされた契約書を見たのであろうか。

 私がFAX送付した搭乗券は、クレジット会社にとって効果的であったに違いない。 誤請求をしたレンタカー会社は、どのような弁明をしたのであろうか。 また、私のようなケースは、極々、稀なことなんだろうか。 他にも、様々な、誤請求の形態があるのではないだろうか。




§ 再発防止策
 再発防止策は、本当は、クレジット会社なり、レンタカー会社なりが提出して欲しいものであるが、期待できないから、自己防衛するしかない。 何事も地道な自己防衛によって、様々な不備も発見できるというもので、その数が無視できないものとなれば、当事者も知らぬ振りは出来なくなる。


 ① クレジットカードのサイン欄について
 かって、海外駐在経験者の同僚から聞いた話であるが、なるほどと、感心したことがある。 私は、クレジットカードのサイン欄にローマ字でサインしていた。 欧米人のサインで見られる筆記体を、更に崩したようなサインが望むべきものだが、何分、字が下手糞であるから、少しでも綺麗に書こうと、丁寧にサインしていた。 それでもサインであるから、少しでも特徴のあるものにしたいと、要するに、粋がってサインを書いていた。

 これが良くないサインの典型であるそうだ。 欧米人はアルファベットは得意である。 日本人が書くサインなど、プロは、すぐに真似て書くことがができると言う。 ところが、彼らにとっては、ヘタに崩したローマ字より、漢字の方が余程、真似るのが難しいという。 だから、サインは漢字が良い。 ローマ字のサインで粋がっていてはいけない。

 彼がいう最強のサインの仕方紹介する。 クレジットカードのサイン欄は、横書きに適したように作られている。 このカードを縦に置いて、漢字で縦書きするのが良いそうだ。 もちろん、請求書にサインを求められたら、同じように縦書きにしなければならない。 我々にとっては、これは、大した制約でもなんでもない、簡単に出来るものである。

 これが何故、最強のサインか説明を要しまい。 漢字は、欧米人から見れば、横書きか、縦書きかも、判別できないであろう。 ましてや、真似て書くことなど、想像も出来ないほど難しいに違いない。

 例え、自分では上手く真似て書けたと思っても、我々が見れば、すぐに違いに気付くであろう。 大体、縦書きされた漢字を、横書きで真似るなど、我々でも出来ないに違いない。

 更に、おまけの話がある。 同僚2人が同時にクレジットカードを盗まれたことがあったと言う。 そして、実際に使われて被害にあったのは、ローマ字のサインを使っていた人で、漢字縦書きのサインの人は、被害を免れたという。 実証付き・検証付きの最強のサインというべきものでしょう。




 ② 何事もチェックが大切
 日本人は、チェックが甘いと思われているような気がしてならない。 実際に、私が甘いから良く分かる。 大体、暗算がろくに出来ないから、レジの明細書には目を通したことがない。

 即座にチェックできないから、最初からその気がないのである。 また、釣銭も確認しないでポケットに入れてしまう。 これは、何度か、ごまかされた経験があるのに、細かい男と思われたくないという、つまらぬ見栄である。

 日本国内なら未だしも、外国では、これではいけない。 日本人の名誉にかかわることである。 チェックが甘いのを、私のように、美徳と思っているとしたら大間違いである。 馬鹿と思われるのが落ちだ。

 チェックすることは、弱点を見つけて攻撃するようで、また、チェックされる方は、その逆の感情に陥りがちであるが、本当は、それが目的ではない筈である。 お互いがミスのないように努力する。

 どちらかに、まかせっきりではいけない。 そして、それは、気持ちの良い・公正な取引に、繋げたいからである。 これは、成熟した契約社会では当たり前のことではあるまいか。

 人間はミスをするものという前提に立っている。 現に、人間のエラー率は、千分の一と言われている。 これは、どんなに神経を集中しても、千に一つはミスをしかねい、と言うことだ。

 これを防ぐには、若しくは、精度を上げるには、機械化とか、チェックを重ねるしか解決方法はない。 言い換えれば、ミスをしても恥ずかしくもないし、ミスを見つけたからといって、偉くもない。 お互い、チェックし合うことは、ミスを少なくするステップの一つであるに過ぎないからだ。



 法律でも、規則でも、作れば責任を果たしたと思っている。 これは、チェック機構が未成熟な社会と言わざるを得ない。 いい例がある。 どこだったか、路上駐車を締め出すために、道路の車線や路側帯の線引きを変えて、道路交通法規上では、何処に車を止めても駐車違反になるようにした。 何か、いい案はないものかと、私も思っていたところであったから、なるほど、知恵を絞った跡が伺えた。

 出来る限りのことはした、それでも迷惑駐車をするとなれば、違法行為をする人が悪いことになる。 だから、これで、取締りも、し易くなったに違いない。 言い逃れも、し難いだろう。 そして、あとは、警察の仕事で、自分のすることは終わった、と思っているのではないだろうか。

 ところが、迷惑駐車はなくならず、見た目は以前と変わらない。 取締りが出来ていないからに違いない。 それを見越した、要するに無頼の人が居なくなった訳ではないからだ。 これでは、取締りを任された方はたまらない。 見た目は以前と変わらないものだから、何をしているのかと、突き上げも来るだろう。

 ところが、極論すれば、いくら取り締まりを強化しても、いたちごっこは、目に見えているのではないか。 その地域の利用車の実効台数に比べて、有効駐車スペースが、絶対的に足りないと思うからである。

 そして、実際に、迷惑駐車を取り締まることは、人手が足りなくて、非現実的なことは、初めから分かっている。 それが分かっているのに、自分は、することはした、あとは、違法駐車する方が悪い、取締りをしない方が悪い、と考えているとすれば、それは、少し違うでしょうね。

 そんなことで問題が解決できる訳がない。 問題を他人に振っただけに過ぎない。 よく見たり、聞いたりする、問題の処理方法である。 これも考えてみれば、当事者だけでなく、我々一般市民の意識やチェック機能のレベルの問題ではなかろうか。

 違法である、罰金も逮捕も出来る、ということをちらつかせても、迷惑駐車が減らず、同じ状況であるのなら、そこは余程便利なところに違いない。 それに、迷惑駐車があっても、大きな交通渋滞が発生している訳でもない。

 それがもし、問題になるほどに、発生しているのなら、それこそ徹底的に取締りを強化しなければならない。 日本の経済発展の足を引っ張る問題にもなろう。

 現実は、その様子でもないから、今のところ、車の通行上、大きな問題とは考えていないのではなかろうか。 そして、迷惑駐車レベルがその程度のことなら、私は提案する。 その区域は、初めから有料駐車区域にすればよい。 収入も増えると言うものである。

 迷惑駐車のまま放置するのも、有料駐車スペースとして利用するのも、見掛けは同じようなものでしょう。 それでも、その効果は大違いである。

 今の様に、迷惑駐車をするものは、違法であることは百も承知で、それでも、それをものともしない、言わば無頼の輩が多かろうと思う。 善良な市民なら、そのようなことはしない。 一方、それが有料駐車スペースとなれば、一般の善良な人たちも、その一等地を、何の気兼ねもなく利用できることになるからだ。

 ロンドンでもパリでも、余程の幹線道路でなければ、路上駐車できるところは、有料にしたり、無料で開放したりしている。 狭い道路であるにもかかわらす、道路の片側には整然と車が隙間なく駐車されている光景は、迷惑駐車をする無頼の輩のようには見えないものである。

 むしろ、車を利用する人も、そうでない人も、マナーをわきまえ、車との共存を計らなければならない、現実の社会を理解した姿として、見えるものである。 海外視察をしたことがある人なら分かるだろう。


 ついつい話が脱線したが、要するに、何事もチェックをしようではないか。 そして、日本人のチェックの厳しさを、少しでも、世界に知らしめようではないか。




 ③ 搭乗券の半券も捨てないで
 搭乗券の半券が役に立ったことは、前述の通りである。 現状のクレジットカードの請求システムは、高度なセキュリティー機能を持つとは言え、悪意を持ってすれば、完全には、安心できるものではないでしょうね。

 だからと言って、そのために、搭乗券の半券も大事に保管しておくべきものですよ、とは言いたくない。 そのために残して置いた訳ではないからだ。

 家内が搭乗券の半券も、駄菓子の領収書も、大事に持ち帰るのは、それが記念品として、また、旅の思い出として、後でアルバムに貼付したりして、楽しむためである。 アルバムに貼付された市電の乗車券を見ても、それが引き金となって、当時のことが次から次へと思い出されるのである。

 旅の思い出とは、そんなものではないか。 必ずしも、高級ホテルがどうの、高級料理がどうの、と言うものではないでしょう。 こんなに無造作に千切らなくてもと思った入場券の半券一つが、どれほど多くの思い出を引き出してくれたことか。

 そして、歳を取ると、思い出に生きると言うが、それは本当だ。 思い出のない人生なんてつまらない。 そして、また、思い出は、自分で作らなければ、誰かが勝手に作ってくれるものでもないでしょうね。





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