« アカペラ a cappella (3)  | トップページ | ドバイ Dubai  »

フェルトゥー湖 Ferto to 

出逢いもいろいろ


八幡自然塾日本の鳥旅先の鳥旅先の花木旅先の蝶鳥紀行好酉の世界

2007/07/08
 サイクリング好きのドイツ人夫妻 ホームへ戻る



2007年 6月 4日 - 6月 5日
 旅のスタイルや訪問地や目的は、人それぞれであり、同じであるはずがない。 それでも、旅先での人との出逢いがなければ、その思い出も、また、たちまち色あせてしまうような気がする。

 そして、ある一刻を、楽しく一緒に過ごした人が確かにいる、という実感があればこそ、その街並みや風景などとともに、旅の光景として、いつまでも心に残るのではないだろうか。




§ハンガリーのステップ湖畔の宿
 あまり知られていないが、ハンガリーとオーストリアの国立公園であり、世界遺産にもなっている フェルトゥー湖 Ferto toステップ湖) に立ち寄った。

 そこに暮らす生物や自然を守る広大な自然保護区も数箇所にあり、コウノトリ など、野鳥が観察できるセンターも何ヶ所かあると知ったからである。

 また、一方では海のない内陸部のことであるから、水辺は大切な憩いの場でもある。 ヨットや海水浴 (塩湖だから) を楽しめる保養地となっているところもある。







§§ステップ湖
 ヨーロッパの温帯草原地帯のことをステップといい、アフリカの草原地帯のことをサバンナといったりする。 また、その地理的特徴が気候にも現れて、それぞれ、ステップ気候とか、サバンナ気候などという。




 ステップ steppe
Ⅰ ステップ 《木のない大草原》
Ⅱ [the Steppes] (特にシベリア・アジアの)大草原(地帯)




【参考】
サバァンナ savanna
 サバンナ 《熱帯地方の樹木のない大草原》

プレーリー prairie
 Ⅰ 草地, 牧草地
 Ⅱ (米国の Mississippi 川流域の) 大草原、プレーリー

パンパ(ス) pampas
 (複) [the ~] (南米, 特にアルゼンチンの樹木のない) 大草原、パンパ(ス)
 by New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998




 これらのことは、高校時代の社会科の選択科目によっては、知らない方もおられようが、懐かしく思い出される方も、また、多かろう。

 そのステップに水がたまって出来た湖のことをステップ湖という。 平らな草原の湖であるから水深は、深いところでも 2メートルもない、浅いものらしい。 また、時代や季節によって、湖の大きさも変わるというのも、分かるような気がする。






フェルトゥー湖 Ferto to
 それはウイーンからほど近いところにあった。 オーストリアとハンガリーにまたがる大きな塩水湖、フェルトゥー湖 Ferto to (ドイツ語名 ノイジードラー湖 Neusiedler See) である。  塩水湖といっても、少し塩辛い程度と言うことである。

 水辺には葦原がどこまでも広がり、岸辺という境界を曖昧なものにしている。 それ故に、鳥類など多様な生態系が守られており、ヨーロッパで唯一のステップ湖であることに加えて、その自然の美しさから世界遺産にもなっているところである。



Fertoto
『フェルトゥー湖畔』 Ferto-to, Hungary
2007/06/05 Photo by Kohyuh



 湖面そのものの面積 lake surface は、約 309 k㎡ であるが、周囲の湿地帯というか、水域 watershed area を含めると、約 1,230 k㎡ にも及ぶというから、琵琶湖の約 670 k㎡ と比較すれば、その大体の大きさが想像できると思う。


 とは言え、周囲はサイクリングロードが整備され、ヨーロッパ全土から愛好家がツーリングに訪れているようだ。 何しろ、アップダウンが少ないところが人気の秘密に違いない。







§§ 宿探し
 峠道を越えると遠くに、フェルトゥー湖が遠望できた。 といっても僅かに光った水面が見える程度である。 さらに下っていくと、バルフ Balf の小さな村に辿り着いた。 大きくはないがホテルも民宿もありそうである。

 未だ5時前であるから、宿探しには余裕があった。 それに、この時期、満杯であるはずがないから、選り取り見取りと思っていた。 例によって、目ぼしい民宿を探して回る。


 希望の宿は、レストランが民宿を兼ねている形態のものである。 レストラン直営であるから飯は美味かろうし、だいいち車で食事にいくという、面倒なことをしなくて済む。

 それが、気がつくと、ぐるりと村を一周していたようだ。 見覚えのある場所にいた。 峠を下りてきた所である。 希望の宿が見つからないまま、また、振り出しに戻ったようだ。 ならば、そのランクを下げるだけである。










§§§ 妖しげな雰囲気
 ランク下げした宿は、数件あったが、一番近くのものに心を決めた。 「人には添うて見よ 馬には乗ってみよ」 という言葉があるが、実際にそうで、考えに考えて選んだものがスカ で、『えいっ やっ』 と選んだものが アタリ だったりすることが多かった。



 ここは、なだらかな斜面になっていて、コンクリート打ちの階段を上がって玄関に入るようになっていた。 下から見れば2階建て以上の高さがあった。

 その民宿の横にも、同じような造りの建物があり、その下には、車が数台置ける駐車場があった。 そのとき、民宿とは別の民家かも知れないと思ったが、誰もいないし、車も置いていなかったので、そこに車を置いて民宿の階段を上った次第である。




 ドアを開けると中は薄暗く、人の気配がないと思って、ハローと声をかけた。 すると、黒ずくめのパンツルックの女性が不意に、音もなく、すーっと浮かび出るように、目の前に現れた。

 実際には、部屋の隅のソファーで本を読んでいたようで、無言のまま立ち上がり、歩いて近づいてきたのに違いないのであるが ・・・  黒ずくめだった上に、明るいところから急に薄暗いところへ入ったものだから、人がいるとは気がつかなかったようである。 



 しばらくして眼が慣れてくると、カーテンが閉められた薄暗い部屋には、隅にソファーと低めのテーブルがあって、本棚が並んでいたり、大きな水槽に亀が数匹泳いでいたり、人形やら、いろんな古い置物が所狭しと飾られてあった。

 部屋の雰囲気といい、黒ずくめの女主人ということもあって、今までに経験したことがないような、魔法の館か何かに迷い込んだような光景を一瞬思い浮かべた。

 その女主人はスリムで、きびきびとした身のこなしではあったが、五十歳位と勝手に思うから、それがより一層、妖しげな雰囲気を漂わせていたのであろうか。






 もし、英語が通じなかったら、身振り手振りまでして頼み込んだかどうか自信がないが、即座にOKというから、次に進まざるを得ない。 部屋を見せて欲しいと頼んだ。

 すると、庭に出る方の戸を開けたので出てみると、隣の民家と思っていた棟に通路が続いていた。 表から見ると二軒並んで建っているように見えたのだが、よく手入れされた庭で結ばれていたのである。

 私たちが日本人であることを知ると、金魚がいるからと池にも案内してくれた。 日本風の池で、確かに金魚が多くさん泳いでいた。 また、鳥篭も各所に置いてあり、インコがいたりする。 また、庭からは遠くにフェルトゥー湖が見えた。



怖がり
 案内された部屋は大きく、また、ベッドも初めて見るような大きなダブルベッドであった。 窓には厚めのカーテンが閉められてあり、薄暗い部屋の中には、古いが立派な調度品やいろんな飾り物やら置物が置いてあった。

 どれもこれも、この女主人の好みであろうことは直ぐ分かる。 驚いたことに、二つの大きな枕の真ん中に、女の子の人形が置かれてあり、私たちを見つめている。

 人形などという個人的な趣味と思うものを、よりによってベッドの上に置いてあるというのは、見たこも聞いたこともない。 自慢ではないが、私は怖がりである。 夜な夜な動きだしたら悲鳴を上げるに違いない、と要らぬ想像までしてしまう。

 そして、このお人形さんが、より一層、女主人の妖しげな雰囲気と併せて、謎めいた異界の領域に踏み入れた心地すら、させるのであった。

 一通り見て回って、泊めてもらうかどうか決断せねばならない時が来た。 しかし、この妖しげなる雰囲気以外に注文を付けるところはない。 だいいち宿泊料金が安い。 一発回答で泊めてもらうことにした。









§§§ 魚料理のレストランにて
 近くにレストランが無かったように思うが、念のため女主人に聞いて見た。 すると、二三分も歩けば、この湖で獲れた魚を食べさせるレストランがあるという。 また、美味いという。


 今回の旅で気がついたが、イタリアやフランスやスペインの夕食開始時間が8時から9時というのは少数派である。 こちらでは、9時ごろにレストランに行くと食べ損なうことがある。 そうでなくても、店の片付けを始めたりするところも多かった。


 そういう訳で、6時過ぎになって、出かけることにした。 二三分ではなかったが、五六分ほど歩くと、倉庫か何かと思っていたところに、立派なレストランがあった。 一度見れば、どうしてこれが眼に入らなかったのかと思うが、見るとは無しに車で走っていると、こんなものかも知れない。

 今回の旅で、また、気がついたが、部屋の中の方がテーブルも立派なのに、向こうの人たちがよくするように、屋外やベランダ席を選ぶようになったことである。 開放感が違うのである。



 このレストランでも、部屋の中に席をとる人は誰もいなかった。 何処にするかと聞かれたので、即座にベランダを指差した。 なかなか見晴らしが良い。 外は未だ陽が差していたが日除けの屋根があった。 薄暗い部屋の中とは大違いである。


 隣の席には、私たちと同年輩と思われる夫妻が食事していた。 私は気がつかなかったが、部屋に荷物を運んでいたときに、自転車で通りかかり、家内が挨拶を交わした人だという。



 メニューを見ても何が何だか分からない。 例え、英語のメニューがあったとしても分らなかったであろう。 鯰料理が分かる訳がない。 あれやこれやと言い合っているのを見かねてか、隣席の婦人が席を立って応援に来てくれた。

 鯰のことは英語で言っても分からないからであろう、口元に手をやってヒゲのゼスチャーをしてくれた。 私は即座に鯰の料理に決めた。

 あまりのご親切に、家内が折鶴と兜を折って、まだ、ご夫妻は食事中ではあったが、帰ってしまわれてからでは遅いと、手渡した。 大変喜んでくれて、これで話が弾むきっかけとなった。 ドイツからサイクリングに来ていたのである。




 そのご夫妻が帰リがけに傍に来て、「また、ホテルで一杯やろう」 と声をかけてきた。 私たちは気がついていなかったが、同じ宿に泊まっていたのである。 家内が宿の前で挨拶を交わしたのは偶然ではなかった。

 この店の鯰の料理が美味かったので、事あるたびに魚料理を注文するようになって、ヒゲの仕草をするのであるが、再び口にすることは出来なかった。 魚料理がないところはなかったが、せいぜい鱒か鮭である。 それに、時間もかかるし、また、なぜか肉より高めである。









§§§ ワインパーティー
 玄関を入ると、あのドイツ人ご夫妻がソファーに座って待っていてくれた。 女主人も一緒に座っていた。 私たちとの出逢い話でもしていたのであろうか、和やかな雰囲気である。

 それではと、庭の片隅にある小さなテーブルの方へ移動した。 女主人が姿を消したと思うと、ワインとグラスを持って再び現れた。

 ドイツ人のご夫妻はこの宿を贔屓にしていて、毎年、利用しているという。 ここの女主人 (オーナー) とは、もう、五年以上ものお付き合いがあるそうである。

 ミュンヘンの人で、パッサウからここまでサイクリングして、5日間になるそうだが、もう、500km も走っているという。 これは、かなりの健脚であろうと思う。


 というのは、私が中学生のときに、往復 40km のサイクリングをしたことがあったが、あとで臀部が痛くなって往生したことがあったからである。

 自転車が、今どきの高性能なものではなかったことを差し引いたとしても、5日間は持たない自信がある。



 そのミュンヘンは、私たちがレンタカーで出発したところであり、パッサウは最初の訪問地であった。

 ご夫妻は、同年輩に見えるが未だ現役だそうで、二人でコンサルタント会社を経営し、世界を飛び回っている様子である。 東京は行ったことがあるが、たった2日間であったと笑っていた。


 また、この辺り一帯はブドウの産地でワインが美味いことで有名だが、オーストリアのものが好きで、サイクリングの途中で仕入れてきたという。 そのワインを、今こうして、ご馳走してくれたのである。

 旦那さんの方は細身であるから、サイクリングしていると言っても可笑しくない。 ところが、奥さんの方は典型的なドイツ人のオバサンといった太目の体形であるから、500km も走ってきたとはとても思えない。





 それにしても、ヨーロッパの人たちの自転車好きには吃驚する。 何処に行っても、サイクリングしている人たちを見かけないところはないのではないか。

 それに、何も、このステップ湖周辺のような平坦な所だけが好まれるのではない。 ピレネー越えのときも、今回の グロス・グロックナー山岳道路 越えでも、自転車で登ってくる人が何人もいた。 ロードレースもあった。 山道を集団で走り抜けてきたりする。










§§§ かわいい女主人
 話が進む中で、こんな折鶴を貰ったよと奥さんが女主人に見せたところ、大いに興味を示したので、それではと、みんなで折ることにした。 奥さんの方は、私は不器用だからと遠慮したが、旦那さんが加わった。

 家内の手元を見ながら、また、家内が手直ししたりして、みなさん上手に作ることが出来た。 次に、兜
(かぶと) を折ることにしたが、これは家内の手直し無しに、みなさん完成させることが出来たようである。


 この折り紙の大きさでは、出来上がる兜も小さいが、新聞紙で折ると実際に頭にかぶることが出来ますよ、と説明した。 すると、他に何種類ぐらい折ることが出来るのか、と痛いところを突いてきた。 実際のところこの二つぐらいしか折れないのである。

 今度は、正しく日本の伝統文化を伝えるために、折り紙の本を持参せねばなるまい。




 いつの間にか、女主人の姿が見えなくなったなと思っていたら、大きな兜を頭にかぶって現れた。 はしゃいでいる。 自分で折ってきたようだ。

 見ると新聞紙ではなく、花を包むようなプラスチックの紙であったから、どうしても折り目がつきにくいし、見るからにしまりが悪い。 一部、折り方も間違っているようだ。

 折角の労作であるから、セロテープを持ってくるように依頼して、家内と二人で手直しにかかった。 折り目にセロテープを貼って固定していったのである。 丸まった所もあって、満足ではないが、完成を喜んでくれた。

 丁度、それが頃合となって、お開きとなった。 初対面のときの女主人の妖しげな雰囲気は、ウソのように消えていた。










§§§ 別れの朝
 朝、目覚めると雨が降っていた。 ドイツ人夫妻は今日、出発するといっていたから、大変であろうと気の毒に思った。 雨の日のサイクリングも見たことがあるが、後部の大きなバッグをカバーで覆い、自らは雨合羽を着ての走行である。



 8時すぎ、朝食をとりに食堂へ出向いた。 女主人はジーパン姿で、半袖のシャツを着ていた。 昨日の黒ずくめより、ずっと若々しく見えた。 また、きびきびした身のこなしは、シルエットで見れば二十代といってもおかしくない。

 そこにドイツ人夫妻の姿はなかった。 サイクリングする人たちの朝は早いから、もう、出発したのかもしれないと、そのとき思った。 昨晩、出発時間のことを聞いておけばよかった。 挨拶をしないまま別れたくはないと思ったからである。





 荷物を持ってチェックアウトに向かったら、三人揃ってソファーに座っていた。 テーブルの上には、昨日作った大きな兜と折鶴が飾られていた。

 もう、出発するのかと、声をかけてきた。 ちょっと待ってと、女主人がカメラを構えた。 代わるがわる席を立ち、みんなで寄り添って、それぞれのカメラに納まった。



 ドイツ人夫妻は、私たちの食事の時間を聞きだしていて、わざわざ待っていてくれたのかも知れない。 いや単に、雨の上がるのを待っていたのかも知れない。

 だが、それはどうでも良かった。 こうして思いがけなく、心に残る暖かい見送りを受けたことが、何より嬉しかったのである。

 別れたあと、一時間ほど走っていると、その雨は上がり、ウソのように、青空に替わった。









ホームへ戻る











« アカペラ a cappella (3)  | トップページ | ドバイ Dubai  »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。