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それは、2007/06/02 (土) ハンガリーのヴェスプレーム Veszprem というバラトン湖 Balaton に近い町の小さなホテルに泊まったときのことだった。 そして、いとも簡単にパンク修理が出来たように思われたかも知れないが、そうではなかったのである。
仕方なく、恥を忍んで宿の主に応援を頼みに行った。 若い兄ちゃんが、こころよく引き受けてくれた。 ところが彼にとっても外車であることは変わらない。 ここはハンガリーだ。 二人で、いろいろ試すがうまく外れなかった。 そうこうしていると、これから出発しようとして駐車場に出てきた四五人の男たちも応援に駆けつけてきてくれた。 カバーの穴から覗くとワイヤーのようなものが見えて、それをドライバーでこちょこちょ触っていたら外れたようである。 単に嵌め込み式と思うが、構造を確認しなかった。 それというのも、ホイールカバーが外れると、ホテルの兄ちゃんが、その後、タイヤ交換まですべて全てしてくれたからである。 手伝いする間もなかった。 今思えば残念なことをした。
そのやり取りを見ていたのか、たまたま給油に来ていた人が説明してくれた。 英語が出来る人だった。 その日は日曜日だったのである。 給油は出来るが、修理できる人が休みでいないという。 しかし、あなた方がこれからバラトン湖の方へ行くということであるから、そこには大きな町もあるから大丈夫だという。 本当はパンク修理してから出発したかったのであるが、なるほど、この町で探しても埒が明かないことがよく分かった。 道中不安であるが先に進むことにした次第である。 今日はバラトン湖で一泊する予定である。 バラトン湖は琵琶湖とほぼ同じ大きさであるが、東西に細長く、ハンガリーの海と呼ばれて、風光明媚な高級リゾート地で知られているようだ。
車を降りて先に進むと、今まで木立で見えなかったが、丁度、目の前に、日本の "海の家" のようにお店が並んでいるのが見えた。 縦方向から眺める格好になるので、お店の裏表が同時に見える。 店の裏でバケツ置いて、魚をさばいているおばさんの姿があった。 表側の木陰には木製の背の高いテーブルが並んでいるようである。 立ったままでも、座っても食べることができるように工夫されている。 ここからは未だ湖畔の風景は見えない。 更に進むと視界がぱっと広がり、お店の前には、大して大きくはないが芝生の広場に木立があり、その先に湖畔があり、遠くに対岸の緑がぼんやりと眼に入る。 想像通りの湖畔の風景がそこにあった。
"の"の字のようになっているから、少し回り込むと、人が一人立てるほどのスペースがある。 中に人が居るかどうかは、足元に20cmほどの隙間があいているから外から分かる、という仕組みである。 天井はない。
それでも、日本の "鯉こく" の味噌汁仕立ての方に分があろう。 川魚独特の生臭さを恐れず、極限まで薄味を追求しているように思うからである。 それに、家族経営であろうか、サービス振りも自然で笑顔を絶やさなかった。 こういったお店での笑顔は、最高のおもてなしの一つといえるだろう。 私が現役の頃、会社の近くの居酒屋では、いつ行っても夫婦喧嘩しながら料理したりしていた。 まったく興ざめである。 他に行くところがなかったから利用しただけである。 見知らぬ国の旅先であればこそ、心からの笑顔に接することほど嬉しいものはない。 私たちの 『とても美味しかったよ』 という言葉に、返す笑顔が気持ちが良い。 それに応えて、家内が例によって、折り紙で感謝の気持ちを伝えた。 大いに喜んでくれたことは言うまでもない。
その鯉こくは、出来上がるまでに随分待たされた。 今、鯉を釣りに行っているのではないかと思うほどであった。 何しろ、家内や子供たちが食べ終わっているのに、私の鯉こくだけが、まだ出てこないのであった。
以来、やわらかーい! とか、生臭くなーい! とか奇声を発して、料理の感想を述べる人を見ると腹が立つ。 美味いものを食わす値打ちがない。
バラトンフレド Balatonfured とか、ティハニ Tihany といったリゾート地は、黙って通り過ぎた。 そのまましばらく走り続けていると、ペンションの立て看板が眼に入った。 早い時間帯に泊まるところを見つけることが出来たら、高級なところに越したことはない。 ゆっくり雰囲気を楽しめる時間がある。 逆に、遅く着いた場合、いくら高級なところでも、ただ寝るだけだからもったいないだけである。
そのペンションは、別荘のような雰囲気が合った。 湖岸にも近いし、周りには緑が広がっているだけで民家も何もない。 近づいてみると大きな庭があり、池があり、芝生が広がっていた。
玄関に入って声をかけると、上品そうなおばさんがにこやかに正面階段を下りてきた。 ちょっと場違いなところへ飛び込んできたかもしれないと思ったが、今さら引き下がれない。
後で分かったが常連の泊り客のようである。 ドイツのシュトゥットガルト Stuttgart から来たとのこと。 家族で遊びに来ているようであった。 その人は、庭の木陰でパソコンを叩いていたりした。
その特別な理由というのは、例えば、関空周辺の海は、テロ対策や飛行機の安全な運行のために、立ち入り禁止に指定されている、といったものである。 日本では、海岸近くの宅地がプライベートビーチといって、海岸線まで立ち入り禁止には出来ないはずである。 そういうこともあって、堺のコンビナートでも、警備員に許可を貰えば海岸線に入れてくれるところが多い。 日本では、プライベートビーチというのはないのではなかろうか。 cf. プライベートビーチ (ホイアン) cf. プライベートビーチ (ランカウイ島)
ご存知の方も居られようが英国人の冒険家だったニコルさんが、日本に来たときに驚いたのは、山奥で炭を焼いているような普通の人が、マスなどを釣ってご馳走してくれたことだと言っていた。 現在でも英国では、川や湖での釣りは貴族のスポーツである。 入浜権など、もともと無かった。 そんな英国でも最近は、広大な領地に通り抜けやハイキングコースといった小道 Foot Path を設けて、その範囲内で通行が認められているところが多い。 だから、別荘地がバラトン湖周辺を占有しているというのは、不思議でもなんでもないのかも知れない。 旧体制下の特権階級だった人たちの既得権だろうか。
湖岸に出ることが出来ないという立地条件では、普通の客は、この宿に泊まる意味がない。 そう言えば、私たちの後から、もう一台車が来たが、女主人と一言二言、言葉を交わしたと思ったら、引き返していった。 そのとき私は宿泊料金の交渉が決裂したと思っていたのである。 そうではなかったのだ。 湖岸に出ることが出来るかどうか聞いたに違いない。 私でも、もしこのことを知っていたら、そうしただろう。
それが思案顔である。 あることはあるのであるが、その場所を説明するのが難しいようである。 二つ三つ前の町まで引き返さなければならないようである。 ここに来て、数十キロも引き替えすのは、如何にももったいない。 先に進む方向であれば少々遠くても、目的地に近づくわけであるから全く問題はない。
それに、湖岸へ行けなかったことに腹立たしい思いをしたのは、何もこの宿に対してではない。 このような不平等の存在に対してである。 お節介に思うほどの親切も、おそらく日本人として初めての訪問客であろう私たちに対して、期待を裏切ったかもしれないという思いがあってのことだろう。 その思いは私たちに十分に伝わった。 それらのおもてなしの心を感じたからこそ、引き返してでも行こうと思ったのである。 いずれにしても、私たちにとっては、雰囲気も、おもてなしについても、何本かの指に入るよき思い出の宿であったことは間違いない。
ここで、修理しておいて良かった。 というのは、これから先、パンク修理できるようなガソリンスタンドには、お目にかかれなかったのである。 そのガソリンスタンド自体、ガス欠になるかと思うほど眼に入らなかったのである。
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