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私のチュン 連載26

私のチュン


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2008/11/07
 老化は仕方がない (4) 戻る次へ


 思えば、チュンの老化は進んではいるが、何も悪いことばかりではない。 少しは、分別がつくようになった。

 かっては、どこまでも後追いして、トイレから出てくると足元に居たりした。 それに気付かず、踏み潰しそうになったことも、何度かあったのである。 今では、その心配もほとんどなくなった。

 これは、まぁ、部屋の戸を閉めたり、こちらも対策を講じているのだが、それでも随分、チュンの遠出は少なくなった、といってよかろう。 身体にこたえるようになったのかもしれない。

 そんなに大きな家か? という声も聞かれるが、かなりの豪邸である。 ただ、チュンの身長で伸尺すればの話であるが。


 かっては、機嫌が悪いと私の手を敵 かたき のようにして、執拗に噛み付き、突つき回すことが毎日のようにあったが、それも少なくなった。 それでも、三度のご飯の時には、必ず顔を出してきて手に噛み付くが ・・・

 これも、まぁ、『飯の支度が遅いやないか』 とか、『手の座り心地がわるいやないか』 とか、ご挨拶のようなものである。


 かっては、「カラスの早起き、スズメの寝坊」 という諺も、本当かな? と疑うほどチュンも早起きであった。 私が未だ寝ているのに、早く開城しろと、うるさく泣き叫んでいたものである。

 ところが、いつ頃だったか、随分前からであるが、私が開城しても寝床の中というのが普通になった。 スズメってこんなに寝ているものか、と思ったものである。

 これも、まぁ、早起きしてジョギングしたり、ラジオ体操などと、暇があると運動をしたりするのは人間ぐらいである。 食っては寝て暮らすのが、生きもの本来の考え方であろう。



 こうして自然体で暮らす、今日この頃のチュンではあるが、ただ老いたからだけではない。 いろいろと試練に耐えてきたからこそ身につけた知恵でもあろう。





試練
 先日 (2008/09/06)、あるテレビ番組を見ていたら、あるタレントさんがうまいことを言っていた。 苦しくて落ち込んでいるときに、『試練とは、それに耐えられる人にだけ与えられるものなのよ』 と慰められて、『気が楽になった』 という。

 よくあるトーク番組だったが、「落ち込んでいるときに、助けられた言葉」 というテーマについて出演者の人たちに順番に聞いていた中の一つである。

試練 (しれん)
 心の強さや力の程度をためすための(ような)苦難。
 用例・作例
  ・厳しい "試練" を受ける
  ・ "試練" を経る
  ・ "試練" にさらされる
  ・ "試練" の厳しさ
  ・時の "試練" に耐える〔=長い年月を経て なお独自の存在理由を失わない〕
 

by Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997


 思うに、始めから "試練" とは、それに打ち勝ってこそ、使う言葉であろう。 用法的には、 "試練" に耐えられなくて、人生が狂ってしまった、などと使う方が間違っている。

 でも、誰が言ったか知らないが、いい言葉である。 人は誰しも目の前に、いろんな困難な問題や、解決すべき課題をかかえているものだ。 それらに対して、少なくとも現時点では、何とか耐えて来ているということも、また、事実であろう。

 そして、人前で話せるということは、決して、潰れてしまった状態ではないから出来ることである。 それでこそ "試練にさらされている" という言葉が使えるという分けだ。

 そのとき、確かに、この言葉が生きてくる。

 cf. これも試練
 cf. 母性の思いは









§§ 笑い事ではない? ・・・ チュンの試練
 昨年 (2007年)、旅に出る一ヶ月ほどの間、娘宅にチュンを預って貰ったことがある。 その頃、丁度孫娘が、つかまり立ちができるようになっていた。

 このくらいの歳の子は、何ごとにも興味を持ち、怖がることもしない代わりに、何を仕出かすか分からないから目が離せない。 ものを持たせると、机でも何でもバンバン叩いて、その音や手の感触を楽しむようなこともする。 チュンをこれまでどおり自由に放して置く訳には行かない。

 これまで、10年間以上もの長きに渡って、チュンのお城の門は開放されており、出入り自由であったのである。 それが突如、門を閉ざされたのであるから、幽閉の身になったようなものであろう。 これを試練といわないで何と言う?


 帰国後、その足で直ぐに引取りに行ったが、チュンは何ごともなかったように振る舞っていた。 それでも、そのときは気付かなかったが、何か "おりこうさん" になったように思うのである。

 「可愛い子には旅をさせよ」 の言葉があるように、世間に出て、そこで共に暮らせば、厳しい現実とともに、その中にも安らぎと信頼と愛情を見出すことであろう。 社会で生きるとはどういうことか、身を持って感じるであろうし、そのための知恵もつくに違いない。



恐怖の体験1
 チュンのお城は、安定をよくする為に、ちゃぶ台の上に固定していた。 あるとき、気がついたら、その上に孫娘がよじ登っていたそうである。 また、あるときは、壁にくっつけて置いてあるのを、無理に動かして、その裏側に回りこんで覗き込んでいたそうである。

 思うに、こういった状況は静になされる筈がなかろう。 がたがたと大きな音もすれば、大地震のようにゆれもしよう。 更には、わぁわぁ、きゃぁきゃぁと雄叫びの声も耳にしたことであろう。 そのときチュンは、どうなるものかと生きた心地がしなかったに違いない。

 あらかじめ考えられる対策を講じていたつもりでも、相手は我々の想像を超えたことをするものだから、完全などということは、まず有り得ない。




恐怖の体験2
 その翌年 (2008年) も同じように、チュンを預かって貰った。 その頃は、もう、孫娘もよちよち歩きができるようになっていた。 昨年の経験から、チュンのお城の周りに障害物を置いて、よじ登ったり、後ろに回り込めないようにしていた。

 あるとき、気がついたら赤や黄色のカラーボールが七つもお城の中に投げ込まれていたという。 野球ボールほどの大きさだから、幾ら広い城の庭とは言え、水のみ場や、水浴場や、餌場もあることである、余裕がある訳ではなかろう。

 それに、チュンにして見れば、突如の空からの攻撃である。 何回か身体を直撃されたかもしれない。 これほどの恐怖は、かって一度も経験したことが無かったのではなかろうか。

 一方、孫娘にして見れば、楽しいボール遊びである。 チュンも喜ぶであろうと考えてのことに違いない。 これに驚いた娘は、六つあるチュンのお城の城門の内、五つを紐で閉じて、主門を洗濯バサミで閉じた。

 洗濯バサミにしたのは、さすがの孫娘も、これでは力不足で開錠できないからであるが、かといって、全部が全部、紐で縛っていては開け閉めが面倒になる。 どうしても、餌や飲み水を替えたりするために、何時でも簡単に開閉出来るということも必要であるからだ。




 こうした恐怖体験も確かにあったが、それでもチュンは、自分が見つめられて、孫娘が喜ぶ姿を何度も見て来たことであろう。 また、その時、彼女とのアイコンタクトとおして、お互いに、気心も通じたことであろうと、今、そのように思うのである。

 特に、もの言わぬ者のたちは、そういった能力に長けているものであるからだ。 それに、同種でも、異種間においてさえも、身体の大小は、そういった心の交流には、一切関係がないことはよく知られていることである。 それは腕力や武力を行使して、もの言わす世界とは対極にある。

 それにチュンは、彼女が、まだ赤ちゃんであることも、きっと、見極めている筈である。 種を越えて、赤ちゃんという共通のサインがあるというし、また、研究者でなくとも、実際に我々が見ても分かるから不思議なくらいだ。 だからこそ、何事もなかったように振る舞うチュンなのである。 ただ、少しばかりおりこうさんになって。








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